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zoom RSS 大徳寺瑞峯院で、重森三玲の庭園を楽しむ!

<<   作成日時 : 2014/11/12 08:00   >>

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JR東海の「そうだ 京都、行こう。」エクスプレス・カード会員には、時々、プレゼントが送られてくるのですが、この秋も“抹茶付きの寺院拝観券”が届きました。忙しくしている内にうっかり期限切れになりそうだったので、慌てて最終日(11月7日)に大徳寺瑞峯院へチャリチャリ。まずは、いかにも重森三玲!というフォルムの庭を。
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今回は、実光院・宝厳院・地蔵院・等持院・瑞峯院・青蓮院・雲龍院と、それぞれに素晴らしいお庭を持つ7寺院が選ばれていたのですが、行者橋、瑞峯院をチョイス。いつも公開しているお寺ではありますが、訪れるのは久し振り。
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重要文化財の表門をくぐると直角に曲がった感じの良い石畳の通路が。表門脇同様にここでも松の木を剪定中。
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次の画像は唐門。同じく重要文化財。方丈・表門と同じ時に造られたそうです。が、ここは閉ざされているので、拝観入り口は次の画像の右になります。
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こちらは拝観入り口の内部から通路を眺めた画像。右側が唐門になるのですが、直線で構成された通路が美しい!
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で、庭園を観賞する前にお抹茶をいただきました。真ん中のお皿の白いのは、大徳寺納豆が中に入った落雁“紫野”。確か、本家玉壽軒のお菓子のはず。右に壺から出した大徳寺納豆。
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チョッとほっこりして、方丈に向かいましたが、方丈手前にキリシタン燈籠もある小さなお庭が。奥左が茶室・安勝軒。
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そして、方丈へ。次の画像右が1535(天文4)年に建造された方丈。重要文化財。この瑞峯院は戦国大名の大友義鎮(おおともよししげ・宗麟:そうりん)が自ら菩提寺として創建したということなのですが…。
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義鎮は1530(享禄3)年生まれとされていますので、わずか5歳で先祖代々を祀るお寺を建てたことになります。方丈には後奈良天皇の宸翰(しんかん:天皇の自筆)の“瑞峯院”の額が掛けられています。
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お寺の資料によると、義鎮は22歳の時に得度(お坊さんになること)を受け、瑞峯院殿瑞峯宗麟居士と称したそうで、宗麟の名と寺名はそれに由来します。こちらが方丈の内部。襖絵は新しいものだそうです。
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白砂と立石が特徴的な「独坐庭」は蓬莱山から半島が延び、大海に逆巻く波を表していると言われます。
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開祖・徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)の400年遠忌にあたる1961(昭和36)年に重森三玲が手がけた庭です。これが蓬莱山側から唐門方向を見た画像。
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さらに奥の方に目を転じると、茶室・餘慶庵(よけいあん)前あたりは、いわば“入り海”の趣が感じられます。
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最初の画像と同じ場所ですが、リアス式海岸とかフィヨルドという言葉を思い出してしまいます(笑)。方丈を回り込むと、茶室・餘慶庵が見えてくるのですが、方丈との間に小さいながら茶庭(露地)が。
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こちらは、腰掛待合になるのでしょうか。石の配置が特徴的です。
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そして、さらに歩くと方丈裏に。ここにも重森三玲の庭・閑眠庭が。奥が茶室・安勝軒です。重森三玲は、大友宗麟が1578(天正6)年に洗礼を受けてキリシタンとなったことを意識して、7個の石で十字架を表現しています。
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次は反対側から見た画像。画像の手前からのラインが縦の線、左端の白砂の中・苔の中・生垣の下、の3個の石が横線になります。お分かりでしょうか。
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上の画像奥の門の扉には竹を使った意匠が施されていますが、これもおそらく重森三玲の特徴の1つだと思います。重森三玲好きの行者橋ですので、今回は画像がいつもより多くなってしまいました。

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