朝は知恩院でラジオ体操!(の気分):by行者橋 渡

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zoom RSS 126年前の5月11日は日本中が震えあがった事件が起こった日です!:烈女畠山勇子の墓の話。

<<   作成日時 : 2017/05/11 18:00   >>

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2月の末、大宮松原交差点から程近い勝光寺での水行を撮影するためにチャリチャリと出向いた時、目の前のお寺の門前に“烈女畠山勇子の墓あ里 末慶寺”の文字のある石柱を発見。「おぉ、この名前はどこかで聞いた気が…!」と思い、インターフォンをピンポン。で、墓地に行くと、3m程の巨大なお墓が…。
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この畠山勇子という女性ですが、実は1891(明治24)年5月11日に起きた大津事件の9日後の5月20日、被害者となったロシア皇太子ニコライ(アレキサンドロビッチ・ロマノフ=後のニコライ2世)に対して、死をもって謝罪した人物です。そのお墓が次の画像の末慶寺というお寺にあるのです。
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上の画像の右下に、“烈女畠山勇子の墓あ里 末慶寺”の石柱が見えますが、それがこちら。今や、烈女なんて言葉は死語ですね。昔は、妖婦・奸婦・毒婦等のおどろおどろしくも女性蔑視的な言葉が新聞・雑誌に多用されていました。
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高校の日本史教科書にも登場する大津事件は、シベリア鉄道起工式に参列するため日本を訪れていたニコライが、琵琶湖遊覧後に大津で沿道警護担当の滋賀県巡査・津田三蔵にサーベルで斬りつけられ、頭部を負傷した事件です。
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*画像はニコライが長崎訪問時に上野彦馬が撮影したそうで、Wikipediaから転載させていただいています。

明治政府にとってこのニコライ訪日は一大外交事案で、外国留学経験のある有栖川宮威仁親王が明治天皇の名代として接待役を命じられたほどでした。が、皮肉にも、外国王族に日本官憲が危害を加える日本外交史上最大級の事件が発生。次は津田三蔵(大津事件の14年前=22歳頃)の画像。
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*画像はWikipediaから転載させていただいています。

事件翌々日(13日)には明治天皇自らが、京都のニコライの宿舎・常盤ホテル(現存せず:現・京都ホテルオークラの前身)に見舞と謝罪をし、19日には神戸港のロシア軍艦に移ったニコライを再訪しましたが、ニコライは帰国しました。事件直後から「ロシアが報復してくる」の噂が広まり、日本政府・日本国民を震撼させました。
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*画像はWikipediaから転載させていただいています。

事件後、日本中が騒然とする中、(上の画像の)畠山勇子はニコライ帰国の報を知り、東京から急遽京都に出かけ、5月20日午後7時過ぎ、京都府庁前で剃刀で咽喉と胸を深く切って自殺を謀り、出血多量で死亡しました。勇子は直前に死をもって詫びる旨の「露国御官吏様」「日本政府様」等、3通の嘆願書を府庁に投じたそうです。
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上の画像は、畠山勇子の墓の裏面ですが、“勇子安房長挟郡鴨川町人天性好義明治廿四年五月 廿日者憂国事來訴京都府廳自斷喉死年二十七 谷銕臣誌 府下有志人建石”とありました。勇子は現・千葉県鴨川市の人で、享年27歳という若さで亡くなった訳です。
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当時のメディアがこの勇子の事件を大きく取り上げたため、「烈女勇子」の名が世間に喧伝され盛大な追悼式も行われたそうです。勇子の墓にはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)やポルトガル領事・モラエスも訪れ、モラエスはリスボンの雑誌にも勇子を紹介したとか。
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*画像は1914年時点でのニコライ2世。Wikipediaから転載させていただいています。

明治天皇自らの行動等によって日露関係悪化は回避されたと言われていますが、勇子の死や過剰な新聞報道等によって国際社会の同情をかい、ロシア側の武力報復・賠償請求等が無かったことに繋がったという評価もあるそうです。ただ、結局はニコライ2世が日露戦争の当事者になるのですが…。

蛇足@
事件直後から日本国中に大激震が走り、学校は謹慎の意を表して休校となり、神社・寺院・教会では皇太子平癒の祈祷が行われ、ニコライへの見舞電報は1万通を超えたとか、また、山形県最上郡金山村(現金山町)では「津田」姓及び「三蔵」の命名を禁じる条例を決議したとか、多くの有名なエピソードが知られています。

大津事件に関する小説は多数ありますが、行者橋は吉村昭・著の『ニコライ遭難』が最も詳細で優れた作品だと思います。津田三蔵に関する記述もそうですが、津田を押さえつけ、逮捕に尽力した2人の人力車車夫のその後の人生のエピソードはとても興味深いものがあります。
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*画像はWikipediaから転載させていただいています。

蛇足A
大津事件に際して、政府は日本の皇族に対して適用される大逆罪を津田三蔵に準用して死刑判決を出させようとしましたが、当時の大審院院長(現在の最高裁判所長官)児島惟謙(こじま いけん)は政府の圧力を退けて、結局、津田は無期徒刑(無期懲役となりました。児島が「司法権の独立」を守ったとして知られるエピソードです。
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*画像はWikipediaから転載させていただいています。

行者橋も、高校時代にそのように習いましたが、現在では大審院院長が自分の見解を下級裁判所を伝えてその指示に従わせようとしたという意味で、裁判官1人ひとりが、他の裁判官からの干渉を受けず、独立して判断できるという“裁判官の判断の独立”という立場から、否定される部分もあるとされています。

蛇足B
現在は歴女・美魔女・カープ女子・山ガールとかの言葉が溢れておりますが、○○女子や△女という言葉の中にも変なものがあり、最近“多肉女子”という言葉を目にしましたが、太った女性ではありません(笑)。サボテン等を好む女性の事ですので。

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