朝は知恩院でラジオ体操!(の気分):by行者橋 渡

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zoom RSS 六道珍皇寺の六道詣りは、何度拝見してもやはり独特で不思議な風習です。

<<   作成日時 : 2017/08/09 18:00   >>

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京都では8月の盂蘭盆(うらぼん:13日から五山の送り火の16日の4日間)の前の7日から10日までの4日間に、精霊(御魂:みたま)を迎えるために六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ・ろくどうちんこうじ)にお参りする「六道詣り」・「お精霊さん迎え:おしょらいさんむかえ」という風習があります。
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で、六道珍皇寺は東大路通と松原通の交差点を西に入った所にあります。次の画像がその入り口ですが、左の石碑には“六道の辻”とあり、ここが死後の世界との境目であることを示しています。
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門をくぐるとテントが張ってあり、両側で高野槙(こうやまき)等を売っています。行者橋は8日朝に訪れたのですが、7日は台風5号の影響でお店を出せなかったそうです。
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次の画像右端にあるのが高野槙で、小母様が手にしている赤い花は“盆花”・“精霊花”の別名を持つミソハギ(禊萩)です。蓮の花の蕾とともにお供えSETを作製中でした。
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小母様に「今日こそは沢山売らなきゃ、ですね」と言うと、「出足が悪いねん」のお答え(笑)。朝はまだ小雨混じりでしたので、午後に期待ですね。で、参詣順序ですが、@高野槙を買う。
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続いては、上の画像のようにA亡くなった方の戒名(俗名)を水塔婆(みずとうば)と呼ばれる経木状の小さな卒塔婆に書いていただきます。そして、Bお迎え鐘を撞きます。最近、鐘楼が新築されました。
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そしてC本尊薬師如来にご先祖の精霊が無事に家に帰れるようにお願いします。本来、本堂に安置される薬師如来は重要文化財なので、鐘楼右の収蔵庫に保管され、この時期だけ公開されます。
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その後は、D水塔婆をお線香の煙で浄めます。お線香の場所は収蔵庫や迎え鐘の鐘楼の反対側にあります。
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こちらが境内。正面が本堂。右手に鐘楼・収蔵庫・閻魔堂(えんまどう=閻魔大王や小野篁:おののたかむら等を祀る)があります。お線香の場所は画像中央の傘の方の左手で、チョッと白い煙が…。
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その後は、上の画像左端のさらに左手前にある“賽の河原”に移動します。こちらが賽の河原。中央に大きな石のお地蔵様が見えます。
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で、E水回向(みずえこう)を行います。これは、水塔婆を水向け用の桶に置いて、そこにある小さな高野槙で水塔婆を湿らせることです。
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で、最初の画像のように水で湿らせる訳です。以上で、六道詣りは終了。最初に買った高野槙は家に持って帰り、お盆の間は仏壇に盆花とともに飾って、精霊が宿る“依り代:よりしろ”とします。ということで、以下は六道珍皇寺での光景あれこれ。
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上の画像は、閻魔大王・小野篁・弘法大師像等が祀られる閻魔堂。普段は小さな格子の間から覗けるだけです。内部は撮影禁止なので残念。そして、本堂。
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参拝客が蝋燭を奉納するために中央の方が持つ笊(ざる)にお金を入れると、「大2本」とか「小1本」と後ろの方に言いながら、後方に手際良くお金を納めます(笑)。こちらは本堂と向かい合う群霊塔。
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下に「参詣順路」が詳細に記されています。注目すべきは、お供えです。京都らしく、湯葉とお麩が供えられていました。
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で、最後はこちら。門のそばに設けられたお店で販売されていた「新盆用のお供えSET」です。左側に蝋燭立てやお供物用のお皿等が見えます。
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その他に、茄子や瓜が描かれた行灯(あんど、と書かれていました)、そしてユニークなのは位牌の前に掛ける階段!…いや、六道詣りは何度訪れても不思議だなぁと思ってしまいます。

補足@:「六道」は、生きている時の行いの善悪の結果として、人々が輪廻(りんね=人が何度も転生し、また動物等も含めた生類に生まれ変わること)する6種類の世界のことです。、「天道:てんどう・天上道・天界道」・「人間道:にんげんどう」・「修羅道:しゅらどう」・「畜生道:ちくしょうどう」・「餓鬼道:がきどう」・「地獄道:じごくどう」がその6種。それぞれに苦しみがあり、「天道」すらも苦しみは残っているとされます。
補足A:小野篁は、昼は朝廷で役人の生活を送り、夜は冥界(あのよ)で閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある人物で、六波羅蜜寺境内には篁が冥界に通ったと伝わる井戸(非公開)があります。また、2011(平成23)年には旧境内地の隣接民有地から、冥界からの帰路に使ったと伝わる“黄泉(よみ)がえりの井戸”も発見されました(非公開)。
補足B:行者橋は、小野篁=遣唐副使を拒否して流罪に処せられた人物として認識しております。836(承和3)年と翌年の2度の渡唐に失敗し、838(承和5)年に3度目の渡唐に際して、遣唐大使・藤原常嗣の横暴に怒ったことも等もあり、乗船を拒否します。さらに、遣唐使を風刺した漢詩を作ったため、これを読んだ嵯峨上皇が激怒して、篁の官位を剥奪して隠岐への流罪に処します。後には許されるのですが…。

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