2つの本能寺。

京都駅からタクシーに乗り、「本能寺まで行って下さい」というと、寺町通と御池通の角にあるお寺に連れていってくれます。これが寺町通から見た本能寺です。
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今回、本能寺のことを取り上げたのは、織田信長が明智光秀の反乱に遭い自害した「本能寺の変」がおこったのが、“天正10年6月2日”だったからです。とはいっても、現在の西暦(グレゴリオ暦)だと1582年7月1日にあたるので、実際の季節感からすると少しずれることになります。

本能寺は日蓮宗のお寺ですので、上の画像の右手には日蓮像が見えます。なお、現在、本能寺では“能”の右のつくりの「ヒ・ヒ」の代わりに「去」という文字を使っていますが、これは「火災=ヒ」を避けるためといわれています。次の画像が本堂で、3枚目が本堂内部の画像です。
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本堂の脇に織田信長のお墓(信長公廟)があります。
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これが信長の墓石です。
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本能寺はその敷地の一部をホテルにしており、修学旅行生も結構宿泊しているようです。

そうではあるのですが、実は「本能寺の変」がおこったのはこの寺町の本能寺ではなく、蛸薬師通と小川通の角にある、いわゆる「元本能寺」でした。現在はこのようなお洒落なたたずまいの建物が建っています。
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ここには1992年まで市立本能小学校があったのですが、廃校となったため複合的な施設に変身しています。
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>このあたりの地名は「元本能寺南町」で歴史を物語っていますが、本能寺があったことを示す石碑にその由緒が記されています。
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蛇足を付け加えると、本能寺は最初(1415=応永22年)、本応寺として油小路高倉に建てられましたが、破壊されたため1453(永享5)年に六角大宮に本能寺と改称され再建されました。

その後、天文16・17(1548・48)年頃にこの元本能寺の地に建てられたということになります。無論、「本能寺の変」で焼け落ちたのですが、信長の3男・信孝が再建。そして豊臣秀吉の京都改造により、天正年間に今の本能寺のある寺町御池に移されたという変転をしています。

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