桂離宮参観記:その1。

桂離宮。言うまでも無く、“日本建築史上屈指の名庭園&建物群”とされる旧・八条宮家(後の桂宮家)の山荘です。八条宮家初代・智仁(としひと)親王が、おそらく1615(元和元)年頃に古書院を造り始めたと推定されています。まずは松琴亭(しょうきんてい)前から月波楼(げっぱろう)・古書院方向を望んだ光景から。
画像


最寄り駅の阪急線桂駅から桂離宮までは徒歩だと少しあるし、バスは便数が少ないのでTAXIを利用することになりがちなのですが、ここで1つPOINTあり。直に通用門前の駐車場で下車はOUTで、桂川に架かる桂大橋の手前で降り、桂川に沿った道を歩くのが正解。すると、この垣根が見えてきます。
画像
これは笹垣(桂垣)と呼ばれる不思議な垣根で、実は離宮内の竹を生きたまま2つに折って、その上半分を竹垣の上から表側に回して穂先の笹の部分を斜め下に向けて、竹垣に止めてあるのです。当然、竹は割れますが、節に割れ目を入れれば枯れないのだとか。
画像
そして笹垣が終わった所から、今度は上の画像のような穂垣(ほがき)が始まります。先を鋭く削いだ太い竹の間に細い穂竹を横に組み上げた垣根で、修学院離宮でも見かけた気がします。この垣根に沿って歩いていくと、桂離宮の正門(表門)の御成門(おなりもん)が見えてきます。
画像
太い丸太と竹を組み合わせただけの屋根も無い簡素な門です。ここまでで竹を自在に使った桂離宮の面白さが感じられます。参観者はさらに先の通用門から入り参観開始となるのですが、最初の説明場所は御成門から入った所にある御幸門(みゆきもん)です。
画像
皮付きの太い柱(桁も)は棈(あべまき)とのこと。茅葺き切妻屋根の棟門形式ですが、山荘に相応しい構えです。1度くぐった御幸門を戻って、再び御幸道を歩いて、次の画像左手に入る道から松琴亭に向かいます。
画像
御幸道は微妙に中央が高くなっており、賀茂川産の小石を敷き詰めて粘土で固めた“霰(あられ)こぼし”という工夫がなされているそうですが、水はけを考慮したものとか。
画像
>御幸道と御幸門は八条宮家2代智忠(としただ)親王が後水尾(ごみずのお)天皇を迎えるために造ったそうですが、続く飛石道を歩くと松琴亭の待合にあたる外腰掛に至ります。
画像
細い柱は皮付きの橡(くぬぎ)の茅葺き寄棟造りですが、上の画像・左手は実際には使わないトイレで飾り雪隠(せっちん)とか砂雪隠(すなせっちん)とか呼ばれます。外腰掛の前は蘇鉄山なのですが、寒さ除けの藁が巻かれていました。
画像
蘇鉄は薩摩・島津藩からの献上とか。外腰掛の前には石を組み合わせた延べ段があるのですが、これは“行(ぎょう)の飛石”と称されているそうです。
画像
ということで、まだまだ最初の茶屋・松琴亭は遠い道のりです(笑)。何回になるか分かりませんが、少しずつ他の記事の合間にUPしていきます。

蛇足:八条宮智仁親王は、正親町(おおぎまち)天皇の孫にして後陽成(ごようぜい)天皇の弟ですが、豊臣秀吉の実子・鶴丸(鶴松・棄:すて)が生まれる前に秀吉の養子となった経緯があるので、徳川政権成立後、家康からうとまれます。桂離宮は1620(元和6)年にはお客様を招いた記録が残っており、おそらくその前に造営が始められたと推測されている訳です。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
ナイス ナイス

この記事へのコメント

まさどやま
2014年01月28日 00:10
まさどやまの、コメントオンパレードで、すみません。が、桂離宮、ちょっと興味あったもんで。もっと、時代の古い庭園なのかと思っていました。意外と新しいものなのですねえ@@しかし、智仁親王とそのお父さんって、インテリというか、趣味人というか、歌にはじまり、庭園まで設計しちゃった訳?ですか?建築家も真っ青です@@でも、所詮は庭園の設計は専門の誰かの作品なのでしょ?さあ!もう1回、wikiで、おさらいしよっと^^こういう、お勉強が大好きな、まさどやまです^^
まさどやま
2014年01月28日 00:26
え~~~??まじでえ??調べましたが、本当に親王が設計までした訳ですか!信じられない@@究極の趣味人ですね!!どうして、建築の知識も無い?のにそんな事が出来るのでしょう?現代なら、究極の芸術家ですか。。。でも、当時、芸術って観念が有ったのかも疑問です。。日本でも世界でも芸術って概念が出来たのは、明治時代以降だと、認識していた、まさどやまなので。。。。
行者橋 渡
2014年01月28日 12:06
まさどやま様、日本人の美的感覚・知識を侮ってはいけません。庭園に関しては、平安中期にすでに『作庭記』という研究本が書かれており、おそらくその後の庭園の造り方に大きな影響を与えたと思います。で、鎌倉期以降の庭園に関心のあった公家や茶人・武士等には必読の書物であったことでしょう。特に安土桃山期や江戸初期の皇族・公家は昔の事柄を学び、維持していくことが趣味というより1つの仕事だったと言っても良いくらいですから、八条宮家の方々も当然、基本的知識として作庭のノウハウを知っていたことでしょう。
まさどやま
2014年01月28日 22:50
いや!日本の美的感覚、意識、決して侮ってはいません!日本が古来より育んで来た美意識って、本当に凄いですし、パリ博の時の当時の外国人に感動を与え、ジャポニズムが流行した位ですから。。。(だったけ?)でも、まさどやま、貧乏性なんで、いっつも思うんですが、歴史でクローズアップされるのは位の高い人ばかり。きっと、桂離宮の庭石だって、本当はド庶民がお金貰って、運んで作業したんだろうなあ~って!トコロで、桂離宮って何時も拝観できないですよねえ?どうして、行者橋先生は、OKなの?京都って、それなりの知識を備えて行くと楽しそう♡夏にでも、主人とお邪魔しようかなあ~(でも、主人は皇室グッズの出店見ると、「ペン、ある?天皇の顏にメガネと鼻毛描いちゃおうか?」って人なんで。。要注意!です(笑))
行者橋 渡
2014年01月28日 23:03
京都御苑内にある宮内庁の事務所に参観希望の本人が行くと、桂離宮・修学院離宮・京都御所・仙洞御所の空いている参観日時を確認できて、その場で申し込むことが可能なんです。従って、知り合いから参観希望があれば、行者橋がチャリチャリと出向き、そこで申し込むことになる訳ですね。ただし、平日のみ参観可能で参観者の住所・氏名・年齢・連絡先が必要なのですけど…。葉書・NETでの申し込みより、確実に参観が可能になります。特に、1月から2月は閑散期なので、割合、簡単に参観できます。
まさどやま
2014年01月28日 23:51
へ~~~~~~(トリビア!ちょい古!)
行者橋 渡
2014年01月29日 00:09
桂離宮・修学院離宮は人気ですから、第1希望の日時がうまく合わないこともありますが、京都御所・仙洞御所は行った日にその場で参観!ということもあり得ます。

ところで、ジャポニスムですが、ご指摘の通り、1867年の第2回パリ万博で幕府・薩摩藩・佐賀藩がそれぞれに展示物を出陳し大いに賑わったこと等で一気に日本熱が沸騰したとされています。また、日本への関心が向けられるきっかけとなったのは、その前に画家・版画家のフェリックス・ブラックモンが日本から輸出された陶磁器を包んでいた「北斎漫画」に注目したことにあった、というエピソードも良く知られています。
まさどやま
2014年01月29日 06:11
京都御所は以前行きました。そこで、主人が変なこと、言った訳です(笑)
やっぱりね!私、浮世絵の実物の展示見た時、北斎が一番凄いなあ~と、生意気乍ら思いました。写楽は実物は筆の運びが遅い感じて稚拙さを感じましたよ。身内だと、何が良いのか分かりにくい様に、自分の国の感性の良さって他国の人に評されてしまうって処、ありますねえ~。ヨーロッパにも沢山素晴らしい物、あります。でも、ミケランジェロのダビデ像(だったと思う)実際に見た時は「ナンジャコリャ?随分頭ばっかし、大きいなあ~」と思ったのは私だけ(笑)
行者橋 渡
2014年02月04日 17:36
浮世絵、良いですよね。北斎も写楽も広重もGOODです。初期の春信はどこかあどけない感じの顔立ちが良いですし、歌麿の美人画も見とれます。版画も肉筆画も素晴らしいと思います。