京都国際マンガミュージアム(旧・龍池小学校跡地)の場所は、実は…。

京都国際マンガミュージアム(以下、マンガミュージアム)の様子については、すでに1度UPしたこと(こちらをご参照下さい)があるのですが、今回は周辺の様子を中心にご紹介。ですが、まずは館内で寝転がってマンガを読む学生さん他の皆さんの画像から。
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行者橋が久し振りにマンガミュージアムを訪れたのは、京都精華大学マンガ学部・マンガ研究科博士前期課程の“卒業・修了制作展”が開催されており、それに興味があったからなのですが、入場無料という点にも魅かれました(笑)。
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上の画像は入口の様子。このマンガミュージアムは外国の方にとても人気が高く、この日も数多く見かけました。“卒業・修了制作展”はとても面白かったのですが、撮影禁止なのでUPできません。ということで、旧・京都市立龍池(たついけ)小学校当時の校長室の画像を。
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京都では、1869(明治2)年に全国に先駆けて町衆の力で64校の“番組小学校”が設立されたのですが、龍池小学校は「上京第二十五番組小学校」として創設されました。次は同じく校長室なのですが、画面右の古時計は80歳以上の歴史を持つ古い物とか。
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説明板によると、現在、マンガミュージアムとして利用されている建物(校舎)が、1929(昭和4)年に竣工した時に生徒の父親・3代目半井万助(なからい まんすけ:蛇足があります・笑)という方が寄贈したとか。で、こちらが旧・龍池小学校を正門側から見た画像。
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実は、上の画像・手前の道路は両替町通というのですが、木が並んでいる側の黒い入口の横には、こんな「此附近 德川時代金座遺址」と彫られた石碑があります。1600(慶長5)年に佐渡とともに設けられた金座の跡地です。
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1595(文禄4)年、徳川家康は彫金家・後藤庄三郎光次を関東に招き、まず駿府と江戸で小判を造らせ、その後、京都にも金座を設立した訳です。京都金座は1791(寛政3)年には鋳造停止、幕末まで禁裏御用の金細工・上方の金職人統制等を行ったそうです。一方、後でご紹介する正門と対称的な位置(80m程南)には…。
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「此附近 德川時代銀座遺址」とあります。銀座は、1601(慶長6)年に徳川家康が伏見に貨幣鋳造所を設立したのが最初ですが、1608(慶長13)年に京都のこの石碑のある場所に移って来たわけです。で、次の画像は石碑の所から正門方向を見たものですが、右端は龍池消防分団の建物です。
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京都の“番組小学校”は設置当初の経緯から、今でいうコミュニティセンター兼区役所出張所のような“町組会所”と消防&防犯の“詰所”が併設されていましたから、今も京都の街中の小学校には消防分団がほぼくっついています。それはともかく、次は正門。
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この正門の左側の門柱脇にも「此附近 二條殿址」と刻まれた石碑があります。ここは、南北朝期に摂政・関白・太政大臣に就いて位人臣を極め、連歌集『莬玖波集:つくばしゅう』を撰んだ二条良基の邸宅・二條殿の龍躍池(たつやくいけ)跡があったとされる場所です。
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池の名前にちなんだ龍池町ができ、学校名になった訳ですが、二條殿は押小路殿とも呼ばれ、後には織田信長が住み、さらに信長は正親町天皇皇太子・誠仁親王に献上したといわれています。本能寺の変では信長の長男・信忠がここで自害し、二條殿は焼失しました。
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マンガミュージアム(旧・龍池小学校)は由緒正しい場所だったんですね。で、行者橋、烏丸御池の交差点でマンガミュージアム方向(上の画像中央奥)を眺めた時、上の画像のように交差点の西北隅の明治安田生命の建物が低くなっていて、長い間、違和感を感じておりました。で、次が反対側からの画像。
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校庭側から見ると、納得!です。右の黒いビルと一体化しているのですが、おそらく、校庭にお日様が当たるようにしたのでしょうね。ポロニア学園(仮名)“男子校”のマンション建設訴訟を思い出してしまいます。

蛇足:半井という名字で、行者橋が知っているのは、樋口一葉が小説を学んだ半井桃水(なからい とうすい)とNHKのお天気お姉さんだった半井 小絵(なからい さえ)しか知らなかったのですが、校長室に時計を贈った「3代目半井万助(なからい まんすけ)」という人が気になったので、調べてみました。

1864(弘化3)年に初代の半井万助という人が、現在の薬祖神祠の近くで和漢薬販売を始め、明治後半に医薬品販売、その後、3代目半井万助が時計を寄贈した少し後の1934(昭和9)年に“株式会社半井万助商店”を設立し、医薬品流通業の会社として、戦後も手広く営業をしていたようです。現在は、医薬品関係とは無縁らしいですが。

意外なところで薬祖神祠(こちらをご参照下さい)と関係のあることが判明し、チョッとびっくり。薬祖神祠は龍池小学校の近くですもんね。初代半井万助の名は1882(明治15)年出版された『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』に“薬舗主免状 三〇号 京都 半井万助”と出ているとのことですが、試験を受けて認められたようです。

蛇足の蛇足:その後、梅花祭の帰り道に薬祖神祠のそばを通りかかった時、両替町通を越えた通りの両サイドに“nakalai tesque”(ナカライ テスク)というプレートの付いてビルが…。で、見上げていたら、ビルの中から若い社員さんと思しき方が出て来られたので、「半井万助さんゆかりの会社ですか」と伺ったら、「そうです」とのお答え。

さらに聞けば、リサーチケミカル(試験研究用試薬)・ファインケミカル(化成品)等を扱っているとか。場所は大雑把にいえば、京都国際マンガミュージアムの裏手です。いやぁ、歴史が繋がりました。

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