粟田祭に見る神仏習合・その②青蓮院への神輿渡御:2015年10月11日。

少し前に、粟田神社の神職と知恩院の僧侶が合同の儀式を行う粟田祭の“れいけん祭”をUPしましたが、もう1つ、神仏習合(神仏混淆:こんこう)の様子が分かる恒例の行事があります。まずは、神輿巡行の途中で、神輿が青蓮院の四脚門から入御する画像から。
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青蓮院の拝観入口から少し知恩院寄りの四脚門は御幸門とも呼ばれ、宸殿(しんでん)大玄関に続いていて、天皇が見えると開くそうです。14時頃、四脚門前に神輿が巡行してきます。
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上の画像左が平安神宮側です。門前の階段が斜めについているので、神輿を担ぐ長柄の前後は勿論、左右も高さが違ってきますので、ねじるように神輿を動かしていきます。
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そして、最初の画像に続きます。こちらが無事に境内に神輿を収めた時点での画像。
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こうして、神輿を担ぐ皆様が休憩している時、剣鉾等の神幸列の一行が門前の神宮道を平安神宮方向に移動していきます。
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この間に粟田神社の宮司が祭神・建速素盞嗚尊(タケハヤスサノヲノミコト=牛頭天王・ゴズテンノウ)の本地仏・薬師如来に幣を献じて、青蓮院の門主がお加持を授けるという儀式が行われます。
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で、20分程すると、再び神輿の移動です。四脚門は狭いので、上の画像のように神輿が門を潜る時は少人数で移動させるので大変です。門を潜ったら、前後に担ぎ手が分かれて長柄に取り付きます。
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長柄が長いだけに、斜めの階段は神輿を上げる時も大変ですが、下ろす時もまた一苦労。次の画像では、かなり“よれ”ています(笑)。
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低くなっている長柄の前方は手を上げて支え、後ろは方で担いで調整し、無事、フラットな神宮道に“着地”です。
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粟田祭の神輿は10年程前に復活したそうですが、以来、毎年、この青蓮院への神輿渡御が行われているそうです。で、門前でひとしきり“差し上げ”をします。
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その後、神輿は知恩院黒門前の“瓜生石”に移動です。四脚門では青蓮院の僧侶の皆様がお見送り(次の画面左)。ちなみに青蓮院は皇族男子が門主(住職)になってきた宮門跡寺院ですが、現門主は旧・東伏見宮家の方のはず。
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現在の四脚門は、元々、江戸時代・寛永期に在位した女帝・明正(めいしょう)天皇の中和門院旧殿の門を移築したものとか。青蓮院の建物のほとんどは1883(明治26)年の火災で焼失したのですが、四脚門は残ったのだとか。格式の高さを感じさせるエピソードです。
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上の最後の画像は“瓜生石”の周りを回っている神輿の画像です。奥に黒門が見えます。ということで、神仏習合の名残を今に伝える「青蓮院への粟田神社の神輿渡御」でした。

蛇足:本地仏というのは、「全ての神様は、様々な仏様が形を変えて姿を現れたもの(権現:ごんげん、といいます)」という“本地垂迹:ほんちすいじゃく”思想に基づくもので、インド&中国で体系的に理論立てられていた仏教=仏様の世界に、理論的に系統立っていなかった日本古来の神道=神様が取り込まれた結果、生まれた仏教主導の考えです。

本地仏と垂迹神の組合せは多様なのですが、大日如来(仏)=天照大神(神)、阿弥陀如来=八幡神・熊野権現、弁財天=市杵島姫等があり、薬師如来=牛頭天王(素盞鳴命)もその1例です。

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