映画『ペレ 伝説の誕生』は素直に感動できて、色々なことを学べる優れた作品です。

今回は公開までに2週間あるのですが、『ペレ 伝説の誕生』を。いや、「J2・横浜FCのキングカズ(三浦知良)が、6月19日にJリーグ最年長得点記録を49歳3か月24日に更新」とか、「スウェーデン7部リーグの試合で、主審に対し“握りっ屁”をした選手が退場処分に」等、サッカーの記事が続いたので(笑)、早めに。
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*画像は(C)2015 Dico Filme LLC

1950(昭和25)年生まれの行者橋世代は、サッカーよりも野球がメインの時代を過ごしてきましたので、“サッカーの王様・ペレ”の名前は、高校時代にサッカーファンの級友が熱心にペレの素晴らしさを語るのを聞いて知った程度です。従って、実際には1971(昭和46)年に引退してから、色々な業績を知って行った訳ですね。

で、『ペレ 伝説の誕生』は、行者橋の生まれた年にブラジルで開催された「1950 FIFA ワールドカップで、優勝の本命と目されていたブラジルがウルグアイに終了間際に逆転された“マラカナンの悲劇”から始まります。ブラジルは、決勝戦で引分けでも優勝というポジションにいたのに敗れたのです。

この結末は、ブラジル全体を悲しみの渦に落とし込み、サッカー選手であった父親も悲嘆にくれます。その父に対して、ペレは「悲しまないで。いつか僕がブラジルをワールドカップで優勝させてあげるから」と宣言するのです。ですが、その後のサッカーへの道は平坦ではありませんでした。

母親は、サッカー選手よりも確実な収入のある仕事に就くように勧めるのですが、父親と一緒に仕事をする中、父の指導を受け、マンゴーの木に成る実を蹴る練習を続け、少しずつサッカーの技術を磨いていきます。行者橋、そのシーンを見ながら「マンゴーが勿体無い!」と思ってしまいました(笑)。
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*画像は(C)2015 Dico Filme LLC

結局、そうした場面を見て母親は、父親の知合いでもあるサッカーコーチに連絡を取り、ペレは地元チームに入りますが、優れた技術を持つペレは、1956(昭和31)年、15歳の時にサントスFCへの入団します。大人の中に混じった小柄でひ弱な印象のペレでしたが、翌年のサンパウロ選手権で得点王になります。

映画では、マラカナンの悲劇”の反省から、その後、ブラジルサッカーに組織プレーを導入しようとする動きが出てくるのですが、ペレはそうした流れと会わないことで監督と対立し、悩んだりしますが、結局は自分のスタイルを貫く方向で活躍していきます。
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*画像は(C)2015 Dico Filme LLC

個人技のブラジルサッカーと言われますが、その背景には、黒人奴隷が身を守るために生み出した格闘技・カポエイラでの体の動き・基本ステップ(ジンガ)が存在する点が描かれたりして、映画の奥行きを醸し出しています。行者橋、全くそのあたりを知りませんでしたの、大いに興味をひかれました。

そして、1958(昭和33)年、プロチーム入団からわずか18カ月の17歳(当時最年少記録)のペレは、ワールドカップ スェーデン大会の第3戦のソビエト連邦戦でワールドカップ初出場を果たし、準々決勝のウェールズ戦でペナルティエリア内からシュートを決め、ワールドカップ史上最年少となる17歳と239日での得点を記録。

準決勝のフランス戦ではハットトリック(3得点)、決勝のスウェーデン戦では、終了間際のヘディングシュートを含め2得点で、5-2の勝利に貢献。大会通算6得点の活躍で、崩壊寸前だったブラジル代表を優勝へと導きます。で、この時つけていた背番号10が、その後、エースナンバーになっていく訳です。

その後、ペレはサントスFCでは1974(昭和49)年まで活躍します。怪我や大人の世界の中での苦しみや葛藤等が描かれる伝記映画ではあるのですが、実にまん真ん中の直球!という展開で、本人の成長や家族愛等が描かれており、実にスッキリした印象を受ける映画です。ペレ本人もチラッとカメオ出演しているのはご愛嬌。
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*画像は(C)2015 Dico Filme LLC

◆『ペレ 伝説の誕生』(2016年・アメリカ映画・107分・監督:ジェフ・ジンバリスト&マイケル・ジンバリスト・配給: アスミック・エース・2016.07.08公開)
〔最近観た映画から-№44〕

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