朝粥の梅干しで目が覚める!@吉祥院天満宮雷除祭のご接待:2016年6月1日。

学問の神様・“菅原道真公生誕の地”の伝承地は奈良・京都に多数あるのですが、その1つ、吉祥院(きっしょういん)天満宮での雷除祭(かみなりよけさい)に、朝早くGO!。と、朝6時少し前に到着。勧められるままに朝粥の接待を受けました。まずは、その画像から。
画像


実はこの日、北野天満宮(ここは生誕の地ではありません)でも雷除大祭があったのですが、朝4時なのでパス。じゃぁ、朝粥のいただける吉祥院天満宮にとなった訳です(笑)。次は、吉祥院天満宮への入り口の1つ。画像左側に見えるのが“菅公ゆかりの「産湯の井」跡”。
画像
菅原道真は天神様と言われますが、天神とは本来雷のことで、道真が左遷された後、清涼殿落雷事件が起こったことから、道真が雷神=天神(火雷神)と結びつけれたものです。で、“菅公ゆかりの「産湯の井」跡”には“社殿に基き復元しました”という説明がありました。
画像
次は神社名の由来となった吉祥天を祀る吉祥院(吉祥天如堂)の横から見た境内の様子。境内はそこそこ広い印象で、右が吉祥院、ほぼ中央右の楠の奥に拝殿・本殿、左の白い建物の手前のテントが接待所。
画像
道真の祖父・清公(きよきみ)が遣唐使で唐への往路(復路説もあり)で嵐に遭遇した時、吉祥天女の霊験で難を逃れたのを機に吉祥天を信仰し始め、清公(あるいは道真の父・是善:これよし)が、自邸内に祀ったのがこの吉祥院とされています。こちらが正面から見た吉祥院。
画像
清公が遣唐使で唐に向かった時、空海・最澄らも一緒でした。で、吉祥院の左手前には、“菅公胞衣塚(えなづか)”あります。胞衣は、胎児を出産した後の胎盤や臍の緒を含む“後産”のことです。
画像
胞衣塚は、昔、生まれた子供の健やかな成長や立身出世を祈るために、家の近くに埋めたものですが。歴史的に有名な人の胞衣塚伝承地は結構残っています。こちらが柵の中の様子。
画像
今は、胎盤を原料としてエキス化したプラセンタが、もっぱらアンチ・エイジング用に使われてますね。時代の差を感じます(笑)。神社では、この塚の玉石を喰い初め石に薦めていました。で、こちらが拝殿。
画像
行者橋、この吉祥院天満宮には20数年ぶりに訪れたのですが、拝殿・本殿が新しくなった気がします。まぁ、20数年ですから不思議では無いのですが。何が違うと言って…まずは、こちら。
画像
名前は未確認。続いてはこちら白馬とキティちゃん。キティちゃんは境内に保育園があるからなのでしょうが、意図不明(笑)。ま、時代でしょう。
画像
拝殿の扁額と鈴ですが、鈴にも梅紋が…。今まであちこちの天満宮に行ったのですが、気づきませんでした。これから、確認して行こうと思っています。
画像
次の画像は、朝粥の接待をして下さっている皆様。右奥が朝粥班、左がお盆・お箸t&冷茶班。セルフサービスとなっていますが、朝粥を受け取るまでは、サッと用意して下さいました。
画像
で、テント内でいただきます。テーブルの上には、べったら漬け・昆布の佃煮・梅干が用意されていました。最初の画像は、それらをのっけた様子ですが、この梅干し、塩の粒がこびりついた、今時、有り得無いしょっぱさ!
画像
一気に目が覚めました(笑)。でも、とても美味しいい朝粥でしたよ。こちらは“硯之水”。説明によれば、道真にゆかりの深い井戸が神社の東600mにあったののの涸れたので、1986(昭和61)年、境内に再現したものとか。
画像
さらに鳥居の外に弁財天社があり、その傍に道真が朝廷に参内(さんだい)する前に顔を写したという“鑑(かがみ)の井”遺跡というものがありました。
画像
帰る前、神社の方に「どうして6月1日なんですか」と伺ったら、「雷の時期が始まるからでしょう」ということでした(笑)。ゴルファー・釣り人等が訪れるそうですが、道真の故郷「桑原」には落雷が無かったとか、桑の木に霊力があるとかの伝承からでしょう、桑の葉の御札が用意されていました。

この記事へのコメント