京都大学医学部附属病院旧産科婦人科病棟:京都の近代建築№24。
「まいまい京都」の企画“京都大学にある近代建築を巡るツアー”の続きです。実は全部で10件くらいあるのですが、これは第2弾。画像は、1931(昭和6)年に建てられた京都大学附属病院旧産科婦人科病棟の玄関。いや、優美な曲線に特徴があるかなりモダンな建物です。
設計者は大倉三郎という建築家です。大倉は、19923(大正12)年に京都帝国大学建築学科第1期生として卒業し、建築事務所勤務の後、1928(昭和3)年に京都帝国大学営繕事務嘱託になり、武田吾一の指導を受け3年後には事務課長にもなった方です。こちらは横からの画像。この案内をして下さった円満字洋介さんによると、大倉三郎初期の作品で、1930(昭和5)年に建てられた大阪・北浜の生駒ビル(生駒時計店)同様、アールデコ様式が顕著だとか。こちらは、生駒ビルの画像。
*画像はWikipediaから転載させていただいています。
ただし、資料によると、生駒ビルの設計者は大倉が最初に勤務した宗建築事務所の宗兵蔵となっていて、大倉は原案者という扱いのようです(実施設計も脇永一雄との説が)。生駒ビルはスクラッチタイルを使用していますので、見た目は少し印象が異なりますね。次は縦位置の旧産科婦人科病棟の玄関の画像。上の画像の暗い部分はこうなっています。2本の円柱には大判のタイルが、奥の建物壁はスクラッチタイルが使用されています。玄関の庇(ひさし)のカーブもなかなか綺麗です。自転車が無造作に置かれているのが、いかにも大学(笑)。上の画像にも写っていますが、壁に開けられた丸窓や壁に埋め込まれた玄関脇の照明も時代を感じさせるデザインですが、こちら。次の画像は玄関の中ですが、壁面の材質も床のタイル模様にも時代を感じます。立てかけられたボードには「医学部臨床校舎(旧産科婦人科病棟)」とありました。次が最後の画像ですが、この建物が最初に目に入ってきた時、行者橋は旧日本帝国海軍の戦艦の艦橋(ブリッジ)を連想し、何故か同時にシンガポールかどこかのホテルの玄関も思い出しました(笑)。窓等の縦のラインも魅力的ですが、長く伸びる水平のラインがとても素敵でモダンな(しつこい!)建物です。
設計者は大倉三郎という建築家です。大倉は、19923(大正12)年に京都帝国大学建築学科第1期生として卒業し、建築事務所勤務の後、1928(昭和3)年に京都帝国大学営繕事務嘱託になり、武田吾一の指導を受け3年後には事務課長にもなった方です。こちらは横からの画像。この案内をして下さった円満字洋介さんによると、大倉三郎初期の作品で、1930(昭和5)年に建てられた大阪・北浜の生駒ビル(生駒時計店)同様、アールデコ様式が顕著だとか。こちらは、生駒ビルの画像。
*画像はWikipediaから転載させていただいています。
ただし、資料によると、生駒ビルの設計者は大倉が最初に勤務した宗建築事務所の宗兵蔵となっていて、大倉は原案者という扱いのようです(実施設計も脇永一雄との説が)。生駒ビルはスクラッチタイルを使用していますので、見た目は少し印象が異なりますね。次は縦位置の旧産科婦人科病棟の玄関の画像。上の画像の暗い部分はこうなっています。2本の円柱には大判のタイルが、奥の建物壁はスクラッチタイルが使用されています。玄関の庇(ひさし)のカーブもなかなか綺麗です。自転車が無造作に置かれているのが、いかにも大学(笑)。上の画像にも写っていますが、壁に開けられた丸窓や壁に埋め込まれた玄関脇の照明も時代を感じさせるデザインですが、こちら。次の画像は玄関の中ですが、壁面の材質も床のタイル模様にも時代を感じます。立てかけられたボードには「医学部臨床校舎(旧産科婦人科病棟)」とありました。次が最後の画像ですが、この建物が最初に目に入ってきた時、行者橋は旧日本帝国海軍の戦艦の艦橋(ブリッジ)を連想し、何故か同時にシンガポールかどこかのホテルの玄関も思い出しました(笑)。窓等の縦のラインも魅力的ですが、長く伸びる水平のラインがとても素敵でモダンな(しつこい!)建物です。
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