被差別部落の歴史を伝える「柳原銀行記念資料館」:京都の近代建築№29。

京都市は、1922(大正11)年3月3日に岡崎公会堂(現存せず:跡地が現・京都市美術館別館)で、被差別部落民3000人集結して全国水平社創立宣言が採択された土地柄ですので、部落解放運動や部落問題(現在は同和問題と言いますが)に関わる史跡の多い街です。「柳原銀行記念資料館」(以下、資料館)もその1つ。
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柳原銀行記念資料館は、河原町塩小路の交差点から少し南に下がった場所にあるのですが、元々の柳原銀行は河原町塩小路西南角にあったそうです。次は、銀行倒産後、商店だった時期の画像。
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上は資料館のパンフレットの表紙画像。柳原銀行自体は1899(明治32)年に設立されたのですが、現在の資料館の建物は1907(明治40)年6月の竣工と判明したそうです。次は、そのことを示す銀行棟札。
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1986(昭和61)年、河原町塩小路交差点近辺が国道24号線拡幅工事地域に入った時に保存運動が起こり、解体して現在地に移築して資料館とすることになって、色彩も1907年の竣工当時のものに戻したとか。
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建物の角を切って、そこに玄関を置く構成は明治期の銀行施設には多いそうですが、ペディメント(三角波風飾り)があり、玄関であることが強調されています。
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この資料館は無料で見学できますが、玄関を入るとこんな光景が。カウンター部分は同時期の銀行を参考に復元したものとか。
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天井も結構凝った造りの格天井ですね。照明も同時期の銀行を参考に復元したそうです。
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シャンデリアが下がる6角形の部分には、よく見ると透かし彫りも施されています。
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1階には色々な展示物があるのですが、前に上げた銀行棟札に名前のある明石民蔵の写真も。彼は柳原銀行創設にあたった11人の内の1人であり、その後初代頭取となった人物で、柳原町長を2度経験しています。
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1856(安政3)年、山城国愛宕郡柳原荘内銭座村(後の京都府紀伊郡柳原町=現・下京区の崇仁地区)に生まれた彼は、部落解放に尽力しますが、部落民のための柳原銀行設立もその1つです。次は階段部分。
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1階階段部分は改変されていたため、2階部分を基に復元したとか。次は、階段部分から玄関方向を撮影したもの。
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階段部の窓は木製サッシュの上げ下げ窓。
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2階も展示室になっていて、行者橋が訪れた時は「奪われた骨 奪われた人権 アイヌ民族~琉球民族~部落」という企画展が開催されていました。
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柳原銀行は被差別部落の住民により設立された日本唯一の銀行で、皮革業者等が主な取引先だったとか。明石民蔵自身も京都皮革株式会社や大正皮革調帯株式会社を設立しています。最後の画像は、こちら。
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かつての柳原銀行があった場所の向い、河原町塩小路交差点東南角の交番です。明らかに柳原銀行がモチーフになっています(笑)。京都府警が考えたのでしょうか、なかなか粋で洒落ています。

*補足:1898(昭和31)年に大蔵省に設立認可書が出願され、その翌年に認可を受けて設立された合資会社柳原銀行は事業地域を京都市内全域に拡大し、 1920(大正9)年に山城銀行と改称。しかし、1927(昭和2年)の金融恐慌時に取り付け騒ぎが発生して休業に陥り、その後破産。

銀行破産後に商店等に転用されていた現・資料館の建物は、本文に記したように解体・移転された後、1994(平成6年)に京都市登録有形文化財に登録され、1997(平成9年)に柳原銀行記念資料館として開館。京都市内の銀行建築物としては、1906(明治39)年の旧・日本銀行京都支店(現・京都文化博物館)に次ぐ古さ。

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