令和元年5月1日・上皇&元号&諡:我々は歴史的瞬間に立ち会って、生きている!

平成31年が終わり、令和元年が始まりました。メディアの状況を見ていると、またお正月が来たような印象ですが、行者橋は別なことで感動していることがあります。いや、何がって…。今日からは、これまで教科書の記述でしか知らなかった“上皇”がいらっしゃり、我々は同じ時間を共に生きているんですよ(笑)。
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本来、上皇は太上天皇(だじょうてんのう)の略称ですが、“平成の明仁天皇”は昨日退位されて、今日からは「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づいて定められた称号である上皇になられたので、微妙に異なると言えるのですが、上皇という尊称・地位が202年ぶりに復活した訳です(*:参照)。

江戸時代後期、光格天皇が文化14年3月22日(西暦:1817年5月7日)に譲位し上皇となられた事例(仁孝天皇即位)が、現在の明仁上皇以前の最後の上皇となります。以下、仁孝・孝明・明治・大正・昭和・“平成の明仁天皇”と続いた皇位はいずれも崩御(ほうぎょ)に伴う代替わりでしたので、上皇は存在しなかった訳ですね。

で、2019年4月1日11時41分、菅義偉(すが よしひで)内閣官房長官が記者会見で新元号「令和」を発表したのは、ご存知の通り。
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4月1日のブログでチラッとふれたように、即座に全国の令和さんが賑やかにメディアに取り上げられ、様々な令和あやかり商戦が繰り広げられたのも、これまたご存知の通り。

令和の出典が『万葉集』だったことも話題を呼びましたが、“初春令月、氣淑風和”の文字は漢籍に原型があるとの論も賑々しく交わされましたが、奈良時代の文人が中国の古典に敬意を払いならうのは常識だったはずなので、国書・漢籍という点に目くじらを立てる程の事ではないだろうと、行者橋は愚考しします。

TVを視ていたら、菅内閣官房長官が令和の文字が書かれた額を掲げた時、短時間ながら、手話通訳のワイプ画面が額に掛かった場面がありました。
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TVでは、菅内閣官房長官が額を反対側に移し、画面の重複は避けられましたが、後からの情報によると、最初の「れいわ」を「めいわ」と聞き間違えて訳したとのこと。手話通訳も2回目以降はキチンと「れいわ」と訳されたとか。
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手話通訳された方はとても優れた技術をお持ちだったとのことですが、その場で初めて聞いたらミスもあり得ることかと思います。いや、お気の毒様です。

元号発表翌日には厚生労働省の委託で、全国手話研修センターの日本手話研究所が令和を表す“指を上に向けて蕾のような形にしてから前に動かしながら指を開く”形の新しい手話を発表しました。
*次の画像は日本手話研究所のHPから転載させていただいています。
© 2019 Japan Institute for Sign Language Studies

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典拠となった梅の花が開く様子をイメージしたそうですが、明治・大正・昭和・平成もほぼ1動作で示す手話があるそうです。行者橋、存じ上げませんでした。

何はともあれ、“令和の徳仁(なるひと)天皇”が即位されて、今日から新しい時代が始まった訳ですが、この間、メディアでは“当てもん”的なものも含めて、元号に関する様々な情報・話題が流されたことはとても良いことだったと、行者橋は思っています。

行者橋は大学生の頃、「元号は中国の行程が空間(領土)を支配するのみならず、時間をも支配する記号として制定された」と学びました。本家の中国で清朝が倒され中華民国が成立した時、元号が廃止されたのは当然ですね。次の画像は安倍晋三内閣総理大臣が新元号の由来等を説明している場面のイラストです。
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日本の最初の元号は645年の大化とされていますが、その後途絶えた時代もあり、710年の大宝からは連続しています。なので、“本当の最初の元号=大宝”説があり、行者橋もそちらに与しています(笑)。また、一時は西暦1本化に賛成したこともあるのですが、今は日本の文化として考えても良いかと感じています。

ただ、明治以来の一世一元の制の下では、元号=天皇の諡(おくりな)となっており、事実上、「新元号の決定=天皇の諡を決めること」になっています。諡という物ごとの性質上ゆえか、メディアではその面での話題は巧妙に(笑)避けられていますが、その意味でも平成・令和と2つの改元に接したことは凄い!…と思っています。

巷では“平成ジャンプ”(笑:ジャニーズではありません)という言葉が広がっているそうですが、行者橋、昭和・平成・令和の3代を生きていることになりますが、昭和天皇の崩御という事態の中での平成改元の時に比べて、譲位で実現した令和改元は世の中の皆様が妙に陽気に浮かれていて、幸せそうです(笑)。

*今回の手話を除くイラストレーションは「かわいいフリー素材集 いらすとや」のものを使用しています。
*Copyright © いらすとや. All Rights kiReserved

:上皇は形を変えて復活したと言えるのですが、明仁上皇の奥様である美智子様は“皇太后:こうたいごう”ではなく、これまた「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に依って、歴史上初めて登場する“上皇后:じょうこうごう”という名で呼ばれることになりました。皇太后=崩御された前天皇の奥様の印象があるからでしょう。

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この記事へのコメント

AK
2019年05月04日 11:50
生きている上皇を見るのは初めてなので、昔なら~院とかいうのかなとか思いつつ、あの歳で引っ越しすると結構精神的に負担になるなあとか思いました。
行者橋 渡
2019年05月04日 20:38
AK様、コメント有難うございます。仰る通り、お元気な上皇と共に同じ空気の下、生きているということは感無量のものがあります(笑)。院号は太上天皇=上皇の別名として生まれたと思いますが、基本的には上皇の巣甘いが院号になったはずですので、一世一元の制度下では、微妙に難しい問題を生みそうです。京都人の中には、どうせなら京都の仙洞御所の辺りに新しいお住まいを建てて、引っ越してお過ごしいただければ…と考えていらっしゃる方も結構いるのでは…と思ったりしています(笑)。