森光子のお墓って阿弥陀寺にあったんですね:信長忌で。

6月2日、寺町通今出川上ルの阿弥陀寺で恒例・信長忌は催されたのでチャリチャリ。で、織田信長・信忠のお墓の様子等は昨年UPしたので割愛。本日は墓苑を歩いていた時、発見した女優・森光子のお墓の話題。以前に何度もこの墓苑を訪れて、色々な方のお墓を確認していたのに、見逃していました。
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こちらが全体の様子。後方に“惠光院放譽花雪逗留大姉”という戒名(*注①参照)の書かれた卒塔婆(板塔婆)が、一番手前には“森光子ここに眠る”の文字の入った黒御影石の石柱が見えます。
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その右がこちら。黒御影石のノート型の右には“感謝と愛を捧げます”、左には似顔絵と“1920.5.9~2012.11.10”の数字、“森光子”の署名と印が刻まれ、下の桜御影石には“花はいろ 人はこころ”の文字。
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文字は森光子の自筆でしょう。次の画像はお墓全体を向かって左側から撮ったもの。手前の“村上家…”とあるお墓を建てたのは“村上美津”となっていますが、これは森光子の本名ですね。
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行者橋、森光子が京都市出身で、阿弥陀寺と同じ寺町通に面した京都府立京都第一高等女学校(現・鴨沂高等学校)の中退生で、俳優・嵐寛寿郎の遠縁とは知っておりましたが、本名は知りませんでした(*注②参照)。
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上の画像左のお墓の前に建てられている小さな水塔婆(経木塔婆)の中には、ジャニーズ事務所の方や俳優さんのお名前が見えました。

注①:森光子自体は無宗教主義だったそうで、戒名は阿弥陀寺の住職がおつけになったというエピソードがNET上に紹介されていました。
注②:以前、鴨沂高等学校の敷地の発掘調査を見学に行った時(こちらをご参照下さい)、近くにいた高齢の方が「うちの伯母が森光子と同級生だった。また、当時は校名が京都府立第一女学校じゃなく、京都府立京都第一女学校だったはずよ」と仰っていました。

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この記事へのコメント

narahimuro
2019年06月06日 19:47
 行者橋様へ
 森光子さんの墓地が阿弥陀寺のあったとは、私も知りませんでした。
 若い時に大阪でラジオ、テレビ、演劇、映画で活躍されていましたが、菊田一夫さんに見いだされて、活動の場を東京に移されていました。
 実家は、京都のお茶屋さんで、坂東妻三郎さんも
よく来ていたそうです。
 確か、嵐寛寿郎さんの従妹にあたり、その縁で
映画界にデビューされたと本人も語っていたと思いますが。
 昭和期に青年期を過ごした私にとっても忘れられない名女優さんの一人です。
 
行者橋 渡
2019年06月06日 20:07
narahimuro様、コメント有難うございます。コメントを読み、嵐寛寿郎乃つもりで大河内傳次郎と書いていたことに気づき(笑)、本文を訂正いたしました。行者橋にとっては、NHKの『若い季節』時代にはチラッと知っていた程度ですが、何といってもTBS系の『時間ですよ』での主役としてのご活躍が印象的です。映画でもお見掛けはしましたが、やはり『放浪記』での演技が凄いので、舞台女優としてのお名前が印象に残っているのでしょうね。
命短し恋する乙女
2019年11月09日 09:39
初めまして
森光子さんのお墓ですが仲間由紀恵さんがお参りしたところは京都市上京区の帰白院でした
阿弥陀寺にも分骨しているのですか?
親友の黒柳徹子さんが 京都にお墓を購入したそうですがだいぶ前に森さんの隣とかおっしゃっていたのですがどこだかわかりますか?
何か由緒あるお寺で公開期間とかもあるお寺なのですが?
教えてくださると助かります
行者橋 渡
2019年11月11日 10:55
命短し恋する乙女さん様、コメント有難うございます。
帰白院というのは、阿弥陀寺の塔頭の1つですので、仲間由紀恵さんは阿弥陀寺にお参りしたということだと思います。阿弥陀寺は必ずしも観光寺院ということではありませんが、織田信長他のお墓があることで知られていますので、お参りに見えるかてゃ大勢いらっしゃいます。いつでも信長&森さんのお墓はお参りができます。