大徳寺興臨院の建物・庭園を愛でる。

普段は非公開の大徳寺興臨院が、9月7日~29日に特別公開(&10月5日~12月15日)されたので、行って参りました。勅使門・金毛閣の前に立った時、すぐ左手にある塔頭(たっちゅう)です。まずは方丈庭園の画像から。
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ここは加賀・前田家ゆかりのお寺として紹介されることが多いのですが、建立したのは能登の守護で戦国大名化した畠山義総(はたけやま よしふさ)です。1520年代の事です。こちらが拝観入り口になる表門(重要文化財)。
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檜皮葺きの表門をくぐると、右手に昭和期に新築された庫裏(くり)が見え、その左手奥に重要文化財の唐門が見えてきます。
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こちらが唐門。逆光の画像なので分かり難いですが、檜皮葺きの唐破風・波打った連子窓(れんじまど)・奥の花頭窓等、禅宗の建築様式をよく示しており、室麻衣時代の趣に溢れています。
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続いては花頭窓から方丈庭園を望んだ画像。
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で、こちらが方丈庭園。1975(昭和50)年から3年間かけて実施された方丈(本堂)・唐門・表門等を解体修理した時に、「昭和の小堀遠州」とも言われる作庭家・中根金作が資料を基に復元した庭園です。
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続いては方丈(本堂)。実は、創建時の本堂は創建直後に焼失しており、現在の本堂は1533(天文2)年頃に再建されたものです。屋根が低く落ち着いた雰囲気があります。
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そして、畠山家が没落した後、1591(天正9)年に前田利家が本堂の屋根の葺き替えをして以来、前田家の菩提寺となったので“前田家ゆかり”のと呼ばれる訳です。次は方丈に掛けられた(中国のお坊さんから贈られた)「興臨院」の文字のある扁額。
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興臨院の名は畠山義総の法号「興臨院殿伝翁徳胤大居士」に由来するもので、本来は畠山氏の菩提寺に前田家の菩提寺が加えられた訳です。で、庭園ですが、こちらがメインの石組みの大写し。
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中央奥に(中国・国清寺のものを示すという)石橋が架かり、右側の松の奥には(遠山を抽象的に表現した)遠山石が、手前右には(天辺が平らな)平天石が配されて理想の蓬莱世界(仙人の住む不老不死の地)を表したとされています。次は本堂を回り込んだ画像。
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上の画像左手前に三尊石風の石組みがあり、真ん中の石には文字が(「爪」の下が不明)。奥には貝多羅樹(ばいたらじゅ)が祠の前に。スリランカ原産のヤシ(椰子)科の常緑高木です。
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貝多羅樹は葉面を傷つけると痕跡が黒くなるので、古来、インド・中国で経文を書くのに用いられ、日本にも江戸時代に輸入された樹木です。二条通に「貝葉書院」という手刷りの経典を販売しているお店がありますね。次は本堂真裏のお庭。
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秋には紅葉が美しそうです。そして、お茶室の「涵虚亭:かんきょてい」。中国北宋代の詩人・蘇東坡の詩から名づけられたそうですが、「涵:内容が豊か・虚: 中身が無く空しい」の意味とのこと。
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古田織部好みと説明されていましたが、涵虚亭は1928(昭和3)年、山口玄洞により作られた茶室だそうです。次は手水鉢。
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畠山氏が没落していなければ、興臨院に長谷川等伯の襖絵があったかも…と思いながら帰途につきましたが、臨済宗だから無理かなとも(笑)。春・秋しか公開されないので、画像多めにUPしてみました。

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