新地湯@中書島:京都の近代建築№32・撮り溜めた画像から。

京都には有名な銭湯がいくつかあるのですが、本日は伏見・中書島(ちゅうしょじま)の「新地湯」を画像9枚でご紹介。まずは営業中の正面画像から。男湯も女湯も同色の暖簾は案外珍しいかも(笑)。
2020.02.23京都伏見太閤バル後半戦 (38).JPG


新地湯は京阪本線中書島駅北口から北方向に歩いて行くとすぐ右手にあります。次は煙突も含めた角度からの画像。近辺は居酒屋やスナックが立ち並ぶエリアで、右手奥が中書島駅方向です。
2019.03.09淀水路の河津桜 (95)中書島.JPG
新地(「新開地」も同じ)は「新しく開発された土地」の意味で、繁栄振興策が取られた結果、歓楽地や(かつては)遊郭が多くなっています。次は別の日の正面画像。
2019.03.09淀水路の河津桜 (89)中書島.JPG
中書島は豊臣秀吉期に開発された後に一時衰退し、高瀬川開削後に遊郭が伏見城下から移されて繁栄したと言われています。次は、屋根の中央とその下のアーチに挟まれた場所の「泉温」の文字。
2019.03.09淀水路の河津桜 (93)中書島.JPG
新地湯は1931(昭和6)年の開業だそうですが、「泉温」が時代を感じさせます。「泉温」下のアーチのギザギザは、弥生期の銅鏡に多い鋸歯文(きょしもん)を思い出させます(笑)。両脇にはアーチのある窓のゾーンが。
2019.03.09淀水路の河津桜 (94)中書島.JPG
次は反対側の画像ですが、モルタルの彫刻らしき模様が。何の文様かは不明ですが、こうした装飾のある建物は大正から昭和初期に多いと思います。
2020.04.07中書島・新地湯 (35).JPG
ちなみに、新地湯の住所表示は「伏見区南新地」です。明治期には、一時は祇園をしのぐ芸妓さんがいたほどの花街(・遊郭)として栄えたとか。窓の下には、こんな装飾も。
2020.04.07中書島・新地湯 (34).JPG
1908(明治41)年に第16師団司令部(現・学校法人聖母女学院本館)が深草に移って来た後、遊郭も発展したようですので、新地湯もそれに合わせて開業したのでしょう。ちなみに藤森には「軍人湯」という銭湯もあります。
2020.04.07中書島・新地湯 (37).JPG
上の画像は、玄関の屋根の上に見える装飾ですが、花か草のようです。1958(昭和33)年の売春防止法で遊廓は閉じて花街のみとなった近辺ですが、花街も1970(昭和45)年に終焉を迎えました。新地湯がその歴史を偲ぶ名残の1つですね。

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