去年の…後祭山鉾巡行:北観音山@御池通:2019.07.24。

祇園祭後祭山鉾巡行の巡行順2番目は、橋弁慶山と同じく籤取らずの北観音山です。曳き山ですので巨大で真松が高くそびえます。
2019.07.24祇園祭後祭山鉾巡行 (12)北観音山.JPG


北観音山は、北嵯峨観空村の旧家に伝わる古文書(1353=文和2年から1747=延享4年まで真松を納めたとの内容)によって、応仁の乱の100年以上前に存在したことが知られているそうです。
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応仁の乱後の山鉾復興時に観音山は2基あり、南観音山とは由緒も含めて兄弟山状態だったようです。当初から曳き山だったそうで、飾屋根が付いたのは1833(天保4)年で、屋根下の彫刻類が整えられそうです。
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上の画像は正面側ですが、懸魚(げぎょ)の牡丹の金箔置木彫には片岡友輔(ゆうほ)・作とあし、正面飾り板の木彫金箔置彩色雲鶴図も片岡作。次は後ろ側。
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飾り金具を含め、江戸文化爛熟期の豪華絢爛さが際立っているように思います。こちらは音頭取りさん。浴衣の6角形は会所のある六角町に由来します(百足屋町の南観音山は、百のマーク)。
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次の画像、囃子方の上の天水引は観音唐草(雲龍図と隔年に使用)、下水引は中島来章の下絵による関帝祭の図と伝わる人物風景。その下の二番水引は赤地牡丹唐草文様綴織、三番水引は金地紅白牡丹文様唐織で豪華です。
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二番・三番水引は共に山鹿清華作の手織錦だったのを平成半ばに復元新調したもの。上の画像の胴懸はインド絨毯斜め格子草花文様(の復元品のはず)。20世紀の中東蓮花文トルキスタン絨毯もあるようです。次の画像の見送の横には柳の枝が。
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ご神体は楊柳観音像(脇侍がと韋駄天立像)に由来する柳ですが、上の画像では背景の樹木と見分けがつかないので、こちらを。
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巡行後は、授与品として配られるので大勢の方が詰めかけるそうです。なお、北癇音山は「上り観音山」、南観音山は「下り観音山」の別名があります。なお、2013(平成25)年までは北の真松に鳩、南の真松に長尾鳥で取り付けられていましたが、古文書等の文献から入れ替わっていることが判明して入れ替えられています。

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