今年の「ずいき神輿」は巡行がありませんでしたが…(やっぱり、あまびえさんが:笑)。
例年なら10月1日から5日まで行われる北野天満宮の「ずいき祭(瑞饋祭)」ですが、今年は鳳輦(ほうれん)やずいき神輿の巡行が無く、ずいき神輿が作られたものの4日間、北野天満宮で展覧・披露されました。ということで、その様子を。まずは北向(正面)の画像から。
行者橋が訪れた4日には10時から還幸祭当日祭が行われたようですが、大鳥居の横には大きなずいき祭の幟旗が。ずいき神輿は本殿に向かって左側の西回廊(飛梅の左)に置かれていました。以下、ずいき神輿の正面・鳥居の上(高欄)・鳥居の奥(桂馬)の画像を北・東・南・西の順に。続けて。( )の中は担当町名。まずは北。次は桂馬の「兜」(天満屋町)と高欄の「花咲爺さん」(堀河町)を続けて。続いては東。桂馬の「蛸」(北町)と高欄の「わらしべ長者」(北町)。続いては南。桂馬の「あまびえ」(北町)と高欄の「邪鬼討伐」(北町)。今年は、あまびえを欠かす訳にはいきませんもんね。そして、西。桂馬の「金太郎」(北町)と高欄の「神社姫」(突抜町)。神社姫というのは、1819(文政2)年に肥前国(現・長崎県&佐賀県)に現れてコレラの流行を予言した、全長2丈(約6m)で2本の角と人の顔を持つ魚のような妖怪だそうです。知らんかった!上の画像は、おそらく還幸祭当日祭を終えて楼門前で記念撮影をしていた関係者の皆様。そうそう、手水ばには花手水が。フォックスフェイスがGOOD!花手水は最近、あちこちの神社で見かけますね。ということで、ずいき神輿のご報告でした。今年は「鬼滅の刃」があるかなと思っていたのですが、細かいから難しかったのかな(笑)。
行者橋が訪れた4日には10時から還幸祭当日祭が行われたようですが、大鳥居の横には大きなずいき祭の幟旗が。ずいき神輿は本殿に向かって左側の西回廊(飛梅の左)に置かれていました。以下、ずいき神輿の正面・鳥居の上(高欄)・鳥居の奥(桂馬)の画像を北・東・南・西の順に。続けて。( )の中は担当町名。まずは北。次は桂馬の「兜」(天満屋町)と高欄の「花咲爺さん」(堀河町)を続けて。続いては東。桂馬の「蛸」(北町)と高欄の「わらしべ長者」(北町)。続いては南。桂馬の「あまびえ」(北町)と高欄の「邪鬼討伐」(北町)。今年は、あまびえを欠かす訳にはいきませんもんね。そして、西。桂馬の「金太郎」(北町)と高欄の「神社姫」(突抜町)。神社姫というのは、1819(文政2)年に肥前国(現・長崎県&佐賀県)に現れてコレラの流行を予言した、全長2丈(約6m)で2本の角と人の顔を持つ魚のような妖怪だそうです。知らんかった!上の画像は、おそらく還幸祭当日祭を終えて楼門前で記念撮影をしていた関係者の皆様。そうそう、手水ばには花手水が。フォックスフェイスがGOOD!花手水は最近、あちこちの神社で見かけますね。ということで、ずいき神輿のご報告でした。今年は「鬼滅の刃」があるかなと思っていたのですが、細かいから難しかったのかな(笑)。
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