妙心寺大雄院を訪れるのは、初めてです(笑)。

大雄院は妙心寺の塔頭の1つですが、「だいゆういん」では無く,「だいおういん」と読み、最寄りのバス停は新丸太町通の「妙心寺前」では無く、一条通の「妙心寺北門前」です。妙心寺の塔頭の中でも庭園で有名な桂春院のすぐそば(南側)です。まずは、こちらの画像から。
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大雄院は、1603(慶長8)年に当時、数え年10歳の石川(石河)光忠が父・石川光元(播磨・竜野城代)の菩提を弔うために、叔父の慧南玄譲を開祖として創建したお寺です。次が表門の光景。
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ちなみに、豊臣秀吉に仕えた父・石川光元は関ヶ原の戦で西軍に属したため領地を失い、藤堂高虎のとりなしで助命されたものの、翌1601(慶長6)年に亡くなっています。表門をくぐると、こうなります。
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最初の画像のお地蔵さんが迎えてくれます。上の画像左の建物が本堂(客殿)で玄関から見ると、美しい襖絵が覗けますが、この襖絵については別項でUPします。
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実は、この大雄院の土地は、桂春院の土地等と共に石川光忠の叔父・石川貞清が寄進しており、開祖・慧南玄譲の招請も貞清が行ったとされています。。
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上の画像は本堂方丈前の縁側の隅からお庭を眺めたものですが、右手奥にはこんな手水鉢が。
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お庭はL字形になっていて方丈左手にも広がっています。
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石川光忠の母親(お亀の方)は美人&聡明であったため、夫・光元の死後、徳川家康に見初められて側室となっています。お寺のあちこちを見て回ると、色々な所で見ものが。次は中庭に当たる部分。
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お亀の方は徳川義直(尾張徳川家の始祖)を産んだこともあり、光忠は後に美濃国と摂津国に知行(計1万3000石)を賜っています。廊下の隅には、こんなライト(でしょうね)もありました。
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さらに、光忠は1612(慶長17)年に家康の命で異父弟の尾張藩主・徳川義直に付属し、名古屋城代となっています。次の画像は、別の場所で見かけた手水鉢。
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​なお、現在の大雄院の建物は、お亀の方が徳川家康より賜った伏見の屋敷を移築したものだそうです(その後、再建あり)。次の画像は客殿玄関から外を撮影したもの。
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実は、行者橋が初めてこの大雄院を訪れたのは、卒業生が日時限定の朱印をどうしてもGETしたいとのリクエストがあったからです。次が朱印作成中の大雄院のご住職。
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なかなかユニークな朱印でした(大雄院のHPはこちら)。ということで、大雄院を後にした時、上空には怪しい雲が(笑)。
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ということで、襖絵については後日。

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