近江八幡:W.M.ヴォーリズの遺産を楽しむ・後篇。

関西エリアは5月16日に史上最速で梅雨入りしたそうですが、本日は近江八幡紀行第4弾「ウィリアム・メレル・ヴォーリズの遺産を楽しむ」の後篇です。最初は旧・八幡郵便局の画像から。
2021.04.08近江八幡 (97)旧八幡宇郵便局.JPG


この、現在の建物は復元されたものですが、元々はヴォーリズの設計で1921(大正10)年に竣工した郵便局です。最初の画像右から順番に少し大写しを。まずは正面。
2021.04.08近江八幡 (98)旧八幡宇郵便局.JPG
同じ形の1階中央の玄関と両脇の窓がとても良いバランスで美しさを引き立てています。1960(昭和35)年まで局舎として使われ、その後、民間の手に移り長らく空き家として放置されていたとか。
2021.04.08近江八幡 (99)旧八幡宇郵便局.JPG
玄関等かなり荒れていたそうですが、1998(平成10)年に結成された「ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会」が保存再生に取り組み、2004(平成16)年に復元。
2021.04.08近江八幡 (103)旧八幡宇郵便局.JPG
様式的にはスパニッシュと和風の町屋造りを折衷したデザインだそうです。繰り返しますが、多用されている半円のカーブが良い雰囲気です。
2021.04.08近江八幡 (101)旧八幡宇郵便局.JPG
現在は、ギャラリーやイベント会場等の多目的スペース、「一粒の会」事務所として活用中で、町並みとマッチしています。ただ、行者橋としては玄関の看板に「旧」の文字は入れてほしくなかったなぁ(笑)。続いては、こちら。
2021.04.08近江八幡 (105)ハイド記念館.JPG
実は近江兄弟社学園の施設で、塀の中にはハイド記念館(右)と教育会館(左)、手前の銅像は、ヴォーリズ夫人=近江兄弟社学園創立者の一柳満喜子さん像。
2021.04.08近江八幡 (113)ハイド記念館.JPG
次の、走っている女性の後ろのハイド記念館は、メンソレータム創業者A.A.ハイドの夫人から寄付された費用で清友園幼稚園の園舎として建設されたそうです。
2021.04.08近江八幡 (116)ハイド記念館.JPG
次はハイド記念館と教育会館を結ぶ、丁度真ん中の部分。丸窓やアーチの着いた入口が美しい!
2021.04.08近江八幡 (119)ハイド記念館.JPG
そして、左の教育会館。共にヴォーリズの設計で、1931(昭和6)年に建てられた木造瓦葺の建物で、こちらは講堂兼体育館だったそうです。
2021.04.08近江八幡 (112)ハイド記念館.JPG
1937(昭和12)年にはヘレン・ケラーが来校し、この教育会館で講演を行ったとか。 連続する窓が特徴的です。
2021.04.08近江八幡 (120)ハイド記念館.JPG
ハイド記念館・教育会館の次は村岡邸。この村岡邸、次の画像左は旧・岩瀬医院(洋館)で、右は岩瀬家住居(日本家屋)。
2021.04.08近江八幡 (125)村岡邸.JPG
ヴォーリズは個人宅も数多く設計しており、これは1933(昭和8)年に完成の木造2階建ての建物。玄関先の車が少し邪魔ですが(笑)、別角度からもう1枚。
2021.04.08近江八幡 (128)村岡邸.JPG
大きな格子の窓や2階の円いアーチがヴォーリズ風でしょうか。そして、最後は近江八幡市立資料館の内の郷土資料館。
2021.04.08近江八幡 (150)市立資料館.JPG
この郷土資料館は元々1886(明治19))年に八幡警察署として建設された建物を、1953(昭和28)年に大幅改築して現在の形になったそうですが、その改築の設計をヴォーリズ建築事務所が行ったとか。
2021.04.08近江八幡 (153)市立資料館.JPG
ちなみに、近江八幡市立資料館は郷土資料館、歴史民俗資料館、旧・西村太郎右衛門住宅の3施設からなっているのですが、安南貿易で活躍した近江商人・西村太郎右衛門の邸宅跡に元の八幡警察署が建てられて、そのまま利用したのが郷土資料館だそうです。以上で、ヴォーリズゆかりの建築物訪問は終了。

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