京都市考古資料館は建物も展示物も素敵です。

行者橋、京都で隠居生活を始める時、「タダ(あるいは安価)で遊ぶ」を基本方針にしたのですが(笑)、その意味で今回ご紹介する「京都市考古資料館」はまさにピッタリの場所です。まずは、建物の正面画像から(右側はバス停今出川大宮)。
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実はこの建物、元々は西陣織を陳列する「西陣織物館」でした。設計者は本野精吾(もとの せいご)で、1914(大正3)年の建築(施工:清水組)。 煉瓦造3階建(床板=スラブは鉄筋コンクリート使用)。次は玄関の大写し。
2021.03.24街中の桜 (58)京都市考古資料館.JPG
上の画像右にソテツ(蘇鉄)が見えていますが、そこには織物商・三宅安兵衛の遺志によって1928(昭和3)年に建てられた高さ約3mの石碑が。
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上の「西陣」は京都帝国大学総長・荒木寅三郎の揮毫、下の西陣の由緒を記した碑文は同大学教授・三浦周行(ひろゆき)の執筆と読めました。次は再び玄関。
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日本でのモダニズム建築の先駆者・本野精吾の代表作とされるこの建物は、 非常に簡素な印象の外形&単純な壁面のデザインながら、細部のデザインは精巧で抽象化されていることが観察できます。
2021.03.24街中の桜 (61)京都市考古資料館.JPG
博物館・美術館は、基本的に実際の展示物の何倍もの収蔵品を所有していますから、上の画像左の奥まで収蔵庫等が続いています。ちなみに、京都工芸繊維大学3号館(旧・京都高等工芸学校本館:1930=昭和5年建築) も本野の設計だそうなので、いつか訪れてみたいものです。で、以下は展示物を(3月13日時点)。
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上と次の画像は、行者橋の大好きな剣鉾で下御霊神社の橘鉾です。反射で分かり難いのですが、飾受(額)の表に「下御霊」(裏は「御祈祷」)。受金は菊紋、飾は橘の透し彫り。
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1811(文化8)年=飾箱墨書銘・1824(文化7)年=飾路台箱墨書銘・1882(明治15)年=剣茎銘に新調とあるとか。次は豊臣秀吉が最晩年に築城した「京都新城」から発掘された金箔軒丸瓦。
2021.03.13京都市考古資料館 (68)金箔軒丸瓦.JPG
他にもありましたが、昨年5月に京都仙洞御所内でこれらの金箔瓦が出土したことで、京都新城の本丸を囲う石垣と堀だと判明した訳です。
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上の画像は淀城の鯱瓦(しゃちがわら)。次は館内の様子ですが、入館無料ですし、特に断りの無い限り撮影可能なのも嬉しい。
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続いては、(旧・)本能寺跡から出土した瓦の内、戴輪宝鬼瓦(上)と「能」字銘軒丸瓦(下:能の旁は「去」)。
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そして、同じコーナーに展示されていた金箔違鷹羽文軒平瓦。上京区中立売通新町西入ル三丁町から出土したようです。
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最初に金箔瓦が葺かれたのは織田信長の安土城ですが、これは出土場所から考えると聚楽第に付随する大名屋敷の瓦かも。次は、いかにも京都らしい展示。
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左の各地層から出土した遺物が右側(下:弥生時代、上:江戸時代)に展示されています。この「遺物のミルフィーユ」が京都の地下鉄建設を遠のかせています(笑)。
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ということで、最後は平安宮太政官跡から出土した鴟尾(しび)。忘れていました。1976(昭和51)年に設立された財団法人京都市埋蔵文化財研究所の業績を展示するために、西陣織物館が京都市考古資料館として変身したのは1979(昭和54)年。その時、煉瓦造外壁の内側に鉄筋コンクリートで構造補強しています。

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