「こどもの日」の京都は早朝から雨(泣)…でも、鯉幟を。

昨今の鯉幟(こいのぼり)と言えば、川や谷にロープを渡して何匹もの鯉幟を吊って眺めるスタイルが増えているようですが、行者橋の気分としては、やはり、小さなお子様がいる家ではその成長を祈って飾ってほしいと思います。まずは、この画像から(説明は後で)。
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京都の街中で鯉幟を飾ってある所は無いだろうかと、少し前から買い物のついでに目を凝らしていたのですが、少子化のせいか街中ではほとんど見かけませんでした。その中で、見掛けたのがこちら。
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どうも自作の鯉幟のようで不思議に思ったのですが、場所を確認したら納得!…「学校法人 ほとけの子学園 寺之内幼稚園」でした。
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妙顕寺(上京区寺之内通新町西入ル妙顕寺前町))の西隣の塔頭・久本院さんの経営のようです。次は、三条大宮公園そば、中京区大宮通三条下ルのマンションの鯉幟。
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小振りながら、矢車・吹流し・真鯉(父)・緋鯉(母)・青鯉(子)が揃ってますね。続いては、その南東の上黒門町あたり(だったと思います)の民家の鯉幟。
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とても小さく、手でも振れる程。吹流し・真鯉・緋鯉ですが、真鯉が青いので男女ペアかも(笑)。次は歌川広重『名所江戸百景 水道橋駿河台』。
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*画像はWikipediaから転載しています。
1856~58(安政3~5)年に制作された浮世絵ですが、真鯉のみです。 細かく観ると、吹流しや幟旗(のぼりばた)は武家地のみに飾られていません。元々、戦いの時の必需品ですからね。で、こちら。
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で、最初の画像ですが、場所は東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤(ろくろ)町の町家カフェ「サガン」。
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緋鯉の出現は明治期後半~大正期らしく、青鯉は1960年前後とか。ところで、昔の話ですが、行者橋の故郷・今治市では鯉幟の掛け方が次の画像とは違っていた記憶があります。
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*上の画像は秀光人形工房のHPから転載させていただいてます。copyright(c) Shukoh All rights Reserved.
昔の画像が無いので説明し難いのですが、吹流しや鯉を細い竿竹に並べて結び、その竿竹の中央を縦のロープに結んでいたと思います。理由不明ですが、風を受けやすかったのかなぁ。最後は建仁寺禅居庵の鯉幟。
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お寺の中の鯉幟は珍しいなぁと思って接近したのですが、立入禁止エリアなので次の画像が限界(笑)。
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Wikipediaによると、元々、端午の節句が菖蒲の節句と呼ばれ、菖蒲と尚武を結びつけて武家の男児の立身出世・武運長久を祈ったのが鯉幟の風習となり、江戸中期に商人に広がったそうです。主に江戸を含む関東地方のもので、当時の関西(上方)には無かったとか。京都の街中に少ない理由も、その辺にあるのかも。子供のいそうなマンションにもほとんどありませんでしたが、規制があるのかな。

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