近江八幡:白雲館には明治初期の近江八幡商人の心意気を感じます!

4月初めの近江八幡紀行第6弾は「白雲館」ですが、場所は日牟禮(ひむれ)八幡宮参道の石鳥居前。1877(明治10)年に八幡東学校として建築されたそうですが、木造2階建・瓦葺の非常にユニークな形をした建物です。まずは、正面からの全体像。
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主屋の両側に主屋に翼舎を張り出しており、上から見ると凹字形。玄関上部の唐破風と屋根上の太鼓楼が組み合わされた漆喰塗系の擬洋風建築ですね。棟梁は近江蒲生郡の大工・高木作右衛門だとか。
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擬洋風建築は全国にあり、京都では龍谷大学本館・北黌・南黌が有名。白雲楼の玄関・太鼓楼の感じは長野県松本市の旧・開智学校(1876=明治9年に建築)を思い出しますね。
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*上の画像はWikipediaから転載しています。
説明板によれば、米1俵(60kg)が1円34銭の時代に八幡商人・地域の人々が6000円の費用(約4478俵分)を負担して八幡東学校が建設されたそうです。
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現在、安いお米5kgで1500~2000円程ですから、約8000万~1億円になりますね。開校当初の児童数は男115人・女117人・計232人だったとか。
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現在、白雲館は1階が観光案内所(観光情報の発信、特産品・伝統工芸品の展示・販売)、2階が多目的ホール(企画展等のギャラリー)になっていますが、上の画像は1階の様子。次は近江牛。
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八幡東学校は1891(明治24)年に学校の役割を終え、翌々年から八幡町役場・蒲生郡役所・八幡町信用組合等を経て、1966(昭和41)年に民間所有に。次は、八幡堀がロケ地になった映画等の紹介。
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そして、1992(平成4)年に近江八幡市への移管後、解体修理工事が始まり、翌々年に明治期の姿を復元して現在に至っています。次は「左義長まつり」の「だし」のようです。
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例年3月中旬の土・日曜日に開催される左義長まつりは「近江八幡の火まつり」の1つですが、「だし」は毎年の干支にちなんだものを海産物や穀物等の食物で作るのだとか。
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上の画像は、日牟禮八幡宮の石鳥居越しに見た白雲館。ちなみに、白雲館の名称は藤原不比等の和歌にちなむという説、鎌倉期の臨済僧・白雲慧暁(えぎょう)説があるそうです。以下はおまけ。
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同じ石鳥居を撮った上の画像には「飛び出し坊や」が入っているのでUPしてみました。ついでに、こちらも。街中で見た別の飛び出し坊や。
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流石、飛び出し坊やの発祥の地・滋賀県、多彩です(笑)。

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