東大路通の交差点は「東山○○」か、ほぼ寺社名!:京都の道路標識あれこれ②。

東大路通というのは、京都の中心市街地を「田」の字に見立てた時、右端の縦棒にあたる)広い南北路(北大路通から九条通まで)です。東大路通の交差点標識の中で、行者橋が2番目(笑)に好きなのは「百万遍」です。1番は最後に(笑)。
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東大路通と今出川通が交差する場所ですので、実際に交差点に立つと「東大路通り」と「今出川通り」の道路標識が掲げられているのに気づきます。
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ところが、「東大路今出川通」(今出川東大路)ではなく「百万遍」なのは、すぐ北東にある百万遍知恩寺の名が地名になっているからです(次の画像「串八」の右奥)。何しろ、後醍醐天皇から寺号を賜ったと伝わっていますからね(笑)。
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行者橋にとっては、百万遍交差点は百万遍手づくり市(毎月15日)ですし、京都大学の学園紛争の「聖地」という記憶につながります。次の「祇園」も同じ例。
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本来なら「四条東大路」(東大路四条)とでもなるはずが神社名から「祇園」に。上の青い道路標示の府道143号が東大路通で、その上に「東山五条」の文字が見えます。で、次の画像を。
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上の画像には、上から「東山三条」「東大路通り」「三条通り」の3つの標識が見え、本来なら「東大路三条」となるはずが「東山三条」。次の画像左に続くのが三条通、右に続くのが東大路通です。
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実は、東大路通は明治末期から昭和初期にかけて北大路通ー九条通間が拡幅され、京都市電の東山線(高野-東福寺間)が敷設されました。次は「東山丸太町」。
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次の画像に「東大路通り」と「丸太町通り」の標識があるように、ここは「東大路丸太町」交差点なのですが「東山丸太町」になるのです。
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つまり、京都の人は今でも東大路通を東山通と呼び、市電時代からの「東山〇〇」がバス停・交差点何引き継がれているのです。次の「東山近衛」も同じ例。
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右端に「東山近衛」、左端に「東大路通」「近衛通」の標識が見えます。次はその1筋北の交差点「東山東一条」。東一条通は京都大学正門・吉田神社に続く道です。
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次の画像右端に「東山東一条」、左端に「東一条通リ」「東大路通り」の標識が見えます。
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ちなみに、九条通-今出川通間の東山通の主な交差点名は、「東福寺」「泉涌寺道」「今熊野」「東山七条」「馬町」「東山五条」「清水道」「東山安井」「祇園」「知恩院前」「東山三条」「東山二条」「東山丸太町」「東山近衛」「東山東一条」「百万遍」です。で、1番好きなのは「馬町」!
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1221(承久3)年の「承久の乱」後、朝廷監視のために六波羅探題(現・六波羅蜜寺近辺)が設置され、そばに鎌倉に送る駿馬繋留した場所としたことからこのあたりを馬町(うままち)と称するようになったそうです。
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上の画像中央建物の右が東大路通、奥が(京都専売病院から武田病院となり現在は)「フォーシーズンズホテル京都」。平清盛の長男・平重盛邸跡で、庭園・積翠園(しゃくすいえん)が残っています。また、左の渋谷通(しぶたにどおり・渋谷街道)を少し入った地域は、太平洋戦争での京都空襲時こちらをご参照下さいに最初の被害を受けています。

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