京都・竹之辻子&瑞音辻子の仁丹琺瑯町名看板の不思議。

これまでにも「仁丹の琺瑯(ほうろう)町名看板}(以下、琺瑯看板)については何度かUPしてきましたが、下京区の細い通り抜けのできる小路(こうじ)=辻子(ずし:図子とも)の内、竹之辻子(たけのずし)&瑞音辻子(すいおんのずし・ずいおんのずし)の琺瑯看板を。まずは、この画像から。説明は後ほど。
2021.07.11仁丹琺瑯看板 (46).JPG


竹之辻子&瑞音辻子は、次の地図の「店舗」とある赤い四角の右横(東側)にあるクランク状の1つの小路です。
*次の地図は京都銀行のHPから転載させていただいています(加工あり)。
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つまり、東・東洞院通、西・烏丸通、南・高辻通、北・仏光寺通の範囲のほぼ中央にあります。上の画像の京都銀行本店東館南側の高辻通に面した壁には、こんな「匂天神社」の祠が埋め込まれています。
2021.07.11仁丹琺瑯看板 (59)匂天神社.JPG
匂天神社の説明は最後の*をご参照下さい。上の画像の右端赤い箱の左にあるのが、ライオンズクラブの町名看板。
2021.07.11仁丹琺瑯看板 (56)高辻烏丸.JPG
「下京区 高辻通烏丸東入 匂天神町」とあります。2枚上の京都銀行のHPの画像にある上柳町の南の町名記載の無い細長いエリアが匂天神町です。次は、南の高辻通からの画像。
2021.07.11仁丹琺瑯看板 (55).JPG
上の画像両側は新しい大きなビルなので琺瑯看板はありません。で、北の仏光寺通に向かって歩くとクランク部分に差し掛かります。
2021.07.11仁丹琺瑯看板 (56)高辻烏丸.JPG
匂天神町の町名が、匂天神社に由来する町名であることは明白です。上の画像左、木の蔭になって見えにくい所に、「下京區 髙辻通烏丸東入上ル 匂天神町」の琺瑯看板が。
2021.07.11仁丹琺瑯看板 (52)高辻烏丸.JPG
「東入上ル」という表記は古い感じですね。この看板のある民家の前にあった京都市広報には「下京区烏丸東入ル 匂天神町」という中途半端な町名表記が。
2020.10.17仁丹の琺瑯看板 (4)烏丸東入ル匂天神町.JPG
これで良いのか、京都市!(笑)。そして、最初の画像の民家を別角度から。
2021.07.11仁丹琺瑯看板 (50).JPG
上の画像左の赤枠の琺瑯看板がこちら。「下京區 佛光寺通烏丸東入下ル 匂天神町」とあります。
2020.10.17仁丹の琺瑯看板 (5)仏光寺烏丸.JPG
次は、右上の緑枠の木製町名看板。上のマークと文字らしい部分は判読不能ですが、中ほどに「高辻通烏丸東入上ル」の文字が辛うじて読み取れます。
2020.10.17仁丹の琺瑯看板 (10)高辻烏丸.JPG
そして、右下には「下京區 佛光寺通烏丸東入下ル 上柳町」の琺瑯看板が。
2020.10.17仁丹の琺瑯看板 (6)仏光寺烏丸.JPG
要するに、次の画像のエアコンのある民家までが「匂天神町」で、右隣(北側)モルタル壁の民家から「上柳町」に区切られているということになります。
2021.07.11仁丹琺瑯看板 (49).JPG
ところが、この民家の向かい(東側)の民家には、次の琺瑯看板が。
2020.10.17仁丹の琺瑯看板 (7)仏光寺烏丸.JPG
「「下京區 佛光寺通烏丸東入下ル」までは同じなのに、上柳町では無く匂天神町なのです。これは京都銀行の地図をご覧いただくと、東側は匂天神町が少し北に張り出しているので納得!…できる琺瑯看板なのです。最後はこちら。
2020.10.17仁丹の琺瑯看板 (13)仏光寺烏丸.JPG
仏光寺通りに近い民家にあった「藤井大丸」の看板です。なお、クランクまでの南の小路が瑞音辻子、北が竹之辻子で、町境とは一致していないような気がするのですが、詳細未確認&不明です。いや、奥の深い仁丹琺瑯町名看板巡りでした(笑)。

:匂天神社の祭神は言うまでも無く菅原道真。ただし、創建不明。現在、匂天神社の西、つまり烏丸通の両側に大政所町(おおまんどころちょう)という町名が残っていますが、匂天神社は江戸時代に祇園祭で神輿が置かれていた祇園御旅所大政所の敷地に勧請されたそうで、匂天神町の北側にあった清光院(清香庵:今は廃寺)の鎮守社とも言われています。

竹之辻子が匂天神町と改称されたのは1869(明治2)年だそうで、匂天神社は洛陽天神25社の1つに加えられたそうですが、1873(明治6)年に廃社。取り壊されていた社殿を再建し、祠を造ったのが1972(昭和47)年だったそうです。

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