鴨川の橋:#02七条大橋。

鴨川の橋シリーズ第2弾は、現在、鴨川に架かる橋の中で最古にして登録有形文化財(建造物)に指定されている七条大橋です。言うまでも無く七条通に架かる橋ですが、まずは東詰南側の「七条大橋」と刻まれた親柱の画像から。
2021.08.31鴨川の橋 (64)七条大橋・東南親柱.JPG


次は、塩小路橋から(北に位置する)七条大橋を眺めた画像。鉄筋コンクリート造で、どっしりとした重厚な橋脚と美しい5連のアーチが目につきます。
2021.08.31鴨川の橋 (87)塩小路橋からの七条大橋.JPG
続いては、「鴨川」と刻まれた東詰北側の親柱。東詰の親柱は南北ともにタイル貼りのモダンな形です。
2021.08.31鴨川の橋 (71)七条大橋・北東親柱.JPG
次は、東詰側から見た七条大橋の道路面。1段高くなった歩道にはガードレールが付いています。奥が京都駅方向です。
2021.08.31鴨川の橋 (74)七条大橋.JPG
七条大橋は第2代京都市長西郷菊次郎(隆盛の長男)が提唱した下記の「京都市三大事業」に基づく橋です。次は「七條大𣘺」と刻まれた重厚&巨大な西詰南側の親柱。
2021.08.31鴨川の橋 (65)七条大橋・西南親柱.JPG
「第2琵琶湖疏水開削・上水道整備・道路拡築及び電気軌道敷設」で拡幅されたのが、丸太町・四条・烏丸・今出川・東大路・七条・千本・大宮の各通り。
2021.09.01鴨川の橋 (24)七条大橋.JPG
上の画像は角度を変えて撮った西詰南側の親柱(左端上に塩小路橋)。上部の形から推測するに、照明設備が取り付けられていたと思われます。その背中側には…。
2021.09.01鴨川の橋 (25)七条大橋.JPG
大理石のプレートの文字は「明治四十四年十一月起工 大正二年三月竣工」。七条大橋は丸太町橋・四条大橋と共に市電の重さに耐えるよう架け替えられのです。
2021.08.31鴨川の橋 (67)七条大橋・西北親柱.JPG
上の画像は「志ちでうおほ者し」と刻まれた西北側の親柱。西詰の南北の親柱は創建時の物を残しています。なお、江戸時代の七条通には中州を利用して2つの橋が架けられていたとか。次は西詰から東方向を撮った画像。
2021.08.31鴨川の橋 (66)七条大橋.JPG
続いては中柱と高欄(欄干・奥に塩小路橋)。中柱には「土木學會選奨土木遺産 2008 七条大橋」と刻まれたプレートが。
2021.09.01鴨川の橋 (21)七条大橋・中柱.JPG
高欄の装飾のモチーフは矢車。七条通に面している近くの三十三間堂の通し矢にインスパイアされたと思います。
2021.08.31鴨川の橋 (73)七条大橋・高欄矢車.JPG
当初の高欄は戦時中の金属供出後、長く木製だったそうですが、現在の金属製の欄干に改められのは、1987(昭和62)年の「京阪電鉄地下化・琵琶湖疎水の地下化=川端通開通」時だとか。
2021.09.01鴨川の橋 (20)七条大橋.JPG
東詰の南北の親柱が新しく、西詰のそれと中柱が創建時のものなのは、そうした背景に依るのでしょう。
2021.06.22鴨川の橋 (44)七条大橋.JPG
上の画像は、上流側から撮影した(ほぼ)全容。美しいアーチが5つ並んでいますが、実は七条大橋は元々、長さ112mの6連のアーチ橋でした。次は東詰北側(左岸)の画像。
2021.06.22鴨川の橋 (43)七条大橋.JPG
先に記した京阪電鉄地下化・川端通開通で、琵琶湖疏水を跨ぐ鴨川左岸の1径間が短くなって現在の5連82mに。上の画像の赤煉瓦部分との関係は不明ですが。次は街灯。
2021.06.22鴨川の橋 (41)七条大橋.JPG
金属供出もあり、高欄と同じ色合いですので、当初のものでは無いことは分かりますが、デザインが継承されているかは不明です。次は、照明部分の大写し。
2021.08.31鴨川の橋 (77)七条大橋.JPG
最後は南側から撮った七条大橋。設計は柴田畦作(けいさく)東京帝国大学教授、意匠設計は森山松之助・山口孝吉の両建築家。なお、西詰の親柱のプレートは白大理石です。
2021.08.31鴨川の橋 (75)七条大橋.JPG
1935(昭和10)年に起きた京都大水害では、鴨川の26橋のうち15橋が流失、団栗橋・松原橋・五条大橋が倒壊し、下流の正面橋が流木等を受け止めた結果、七条大橋は無事だったそうです(橋の被害が無かったのは北大路・加茂・七条の3橋のみ)。ちなみに、四条大橋は上記の京都大水害を機に架け替えられ、丸太町橋は老朽化のため1991(平成3)年に新しくなっているので、七条大橋は明治末期の京都三大事業の3橋で唯一現存している訳です。

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