われも紅の会@平安女学院大学 有栖館:2016年9月1日。

行者橋がポロニア学園(仮名)に勤めていた時、6年間、学年主任として担当した58期赤の学年の保護者の皆様14名が、9月1日から3日の日程で上洛されました。で、1日に訪れた行程の中から「平安女学院大学 有栖館(ありすかん)」の様子を。まずは記念写真から。
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烏丸下立売(からすましもだちうり)の角にある有栖館は、旧・有栖川宮邸で、2008(平成20)年から平安女学院の所有。次の画像は昨年春のものですが、大きな枝垂れ桜が塀を越えて烏丸通側に張り出すので有名です。
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上の画像の銅板・真鍮板で葺かれた平唐門は、1912(大正元)年に新築された旧・三井高保家の門で、1952(昭和27)年に移築された時に吉井勇によって“青天門”と名付けられています。こちらが入り口。
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実は、上の画像は今回お出でになった“われも紅の会”の皆様が出ようとしている時点でのもの。扉がヒノキ(檜)の1枚板で厚さ3cm。当時の三井家の豪勢さを象徴しています。
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有栖館は、1869(明治2)年に京都御所建礼門前に新築されたものの有栖川幟仁(たかひと)親王が住むこと無く、京都裁判所の仮庁舎として使用され、その後、一部を京都地方裁判所所長宿舎として現在地に移築したものです。次の画像は枝垂れ桜の下から撮影した拝観入り口。
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「院學女安平」の額が掲げられた玄関から、書院造の建物に入ると襖を取って広くなった客間が。次の画像左には有栖川家の歴史が展示され、中の板張りの間は能舞台にもなる場所、右手の畳敷きの座敷で説明を伺います。
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次は説明を聞く“われも紅の会”の皆様。床の間と付け書院のある上段の間(2畳)側から撮影したものです。
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こちらが上段の間。左が付け書院。天井が格天井(ごうてんじょう)ですので、身分の高い方が座られる場所だと分かります。
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続いては、付け書院の花頭窓(かとうまど)から床の間を見た所。花頭窓の上には、龍の透かし彫が。
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ガラス窓の外には、平安女学院大学が購入した時に同大学で教鞭を取られていた第11代小川治兵衛(植治)が作庭したお庭が。
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こちらが反対の位置から撮影した画像。耐震補強中の平安女学院大学の校舎をカバーする防護壁が、木々の奥にうっすらと見えています。
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順路の案内に従って、奥の部屋に回り込むと居住されていた部屋にたどり着きますが、まずはこちら。天井の下に細長い壁がありますが、これは“蟻壁(ありかべ)”と呼ばれます。
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書院造りの部屋が広くなると、間延びした感じになりやすいので、それを防ぐ効果があるそうです。上の画像に制服が3つ並んでいますが、平安女学院は1920(大正9)年に日本で最初にセーラー服を制服として採用したことで有名です。
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上の画像の右が、それまでの着物に袴から洋風に変わった最初の制服(セーラー服)。この部屋の前には、雲形花壇と呼ばれる花壇(庭)があります。地方裁判所所長宿舎として使用されていた時期に荒れていたのを第11代植治が整備したものです。
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木は桃、手前の草はフジバカマ(藤袴)です。隣には“聞香”の部屋があり、皆で挑戦してみました。
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有栖館は春には必ず特別公開されるのですが、いつも説明係の方が丁寧に説明をして下さいます。“醍醐の花見”で豊臣秀吉が愛でた枝垂れ桜の子孫である枝垂れ桜の時期にまた訪れたいと思います。

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