時代祭・女性篇①「江戸時代婦人列」他:2018年10月22日。

行者橋、生まれつき耳鼻咽喉系が弱く季節の変わり目には必ず扁桃炎や風邪に罹るうのですが、今年も10月中旬から体調が悪く、秋華賞・菊華しょう観戦はおろか数々のお祭りをパスする始末。流石に、時代祭を見逃す訳にはいかない!と思い、昼過ぎまで寝ていて14時前に平安神宮近辺へ。まずは、この画像から。
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ご存知の通り、時代祭では「維新勤王隊列」から時代を遡る形で行列が続きますが、「江戸時代婦人列」・「中世婦人列」・「平安時代婦人列」・「白川女献花列」等に女性が登場します。が、こんな方々も。
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何の団体だったかは聞き逃したのですが、行列が登場する前に踊りを2曲披露されました。
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で、しばらく待っていると、先導のパトカーに続いて男女の騎馬警官が登場します。左が女性警察官。
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そして、大きな横断幕を持った京都のお嬢さん方の列が2つ続きます。まずは、こちら。
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恒例の横断幕の2列ですが、毎年お嬢さんは変わるのでしょうね。続いてこちら。
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そして、「江戸時代婦人列」が登場。TOPは最初にUPした“和宮”。仁孝天皇の第8皇女で、公武合体のために徳川第14代将軍・家茂に降下した、(平安神宮の祭神の1柱)孝明天皇の妹ですね。
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続いては“太田垣蓮月”。知恩院と縁の深い幕末の女流歌人で、陶芸にも名を残していますが、画家・富岡鉄斎の育ての親と言って良い女性です。
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そういえば、知恩院境内に「蓮月茶や」という湯豆腐屋さんがありましたね(笑)。 次は“玉瀾:ぎょくらん”。江戸中期の文人画家・池大雅の妻です。
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本人も画人としても有名。次は“中村内蔵助の妻”。内蔵助は、江戸中期に京都・銀座(現・両替町)で貨幣鋳造業を営んでいた富豪。京都が舞台の小説に良く登場します。
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豪商の妻女が衣装比べした時、他の女性が色鮮やかな衣装で競った中、内蔵助の妻は白無垢の重ね着に黒羽二重の打掛け姿で現れた逸話に基づいた姿ですね。そして、“祇園梶女(お梶)”。
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八坂神社南門近くの水茶屋「松屋」の女将にして女流歌人で、玉瀾の祖母です。続いては“吉野太夫”。六条三筋町(後に島原に移転)の太夫で、寛永期の女性。
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正確には2代目吉野太夫で、豪商・灰屋紹益(はいや じょうえき)の妻となり、鷹峯・常照寺に朱門を寄進したと言われ、自身の墓もあります。次は大写し。
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常照寺では、毎年4月に吉野大夫花供養が行われ、島原太夫道中が見られますね。そして、、「江戸時代婦人列」の最後は“出雲阿国”。
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これまた、ご存知の通り、出雲大杜の巫女を名乗り、京都で「やや子踊」を基に「かぶき踊」を演じて、歌舞伎の創始者とされる女性ですね。ついでに、お付きの方々も。
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なかなか派手やかで行者橋好みです(笑)。四条大橋東詰北側には、「四條南座」を見上げるように出雲阿国像があります。この11月には、耐震補強工事を終えた「四條南座」が“発祥400年・新会場記念”の顔見世を開催しますね。

ということで、2回に分けてお届けする予定でしたが、体調思わしくないので、①はこれにて終了。3回に分けることにします(笑)。

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