51年前、広島大学の「入学式」は5月6日でした。

本日は、行者橋の文字数が多い長い昔話です(笑)。1950(昭和25)年生まれの行者橋は、広島大学教育学部に現役合格(笑)し、1969(昭和44)年4月には入学式を迎え、新入生として大学生活を謳歌するはずでした。次の画像は広島市東千田町にあった頃の広島大学の様子。
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*画像は広島大学のHPから転載させていただいています。Copyright © 2003- 広島大学

少し話が戻ります。1969(昭和44)年1月18~19日の東大安田講堂事件等の余波で、東京大学と体育学部を除く東京教育大学(現・筑波大学)の入学試験が中止と決まり、3月に予定されていた国立大学入試戦線は大混乱となりました(その前の私立大学も同様)。
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*画像はWikipediaから転載しています。

現在と違い、当時は全国的展開をする予備校は無く、大学入試に関する諸情報・データは「旺文社」と「学習研究社」(学研)が一手に保有していたと言って良い状況で、両社の模擬試験が合否判断の目安でした。

と同時に、当時の高等学校では過去の入試実績等から「校内順位が○○番以内なら△△大学は堅い」といった目安も通用していました。が、両大学の突然の入試中止は、双方の過去の実績が役に立たないという危機的な(笑)状況が生まれました。

そうした中、受験校を広島大学に決めていた行者橋は初志貫徹!…で受験日まで勉学に勤しんでいたのですが、受験日(3月3~4日)の10日程前に「大学が封鎖されているので、受験会場を○○高校に変更します」との葉書が届いて、小波乱(笑)。

合格発表後、大学のすぐそばに下宿先を決め、広島生活を始めましたが、大学は学生が正門他にバリケードを築いて、教員は中に入れない封鎖状況が続いていました。行者橋のような学生は入れたので、先の見えないまま図書館で新聞数紙を読む毎日でした。次は、広島大学の徽章。
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*画像は、キシヨウ堂(広島市中区本通)のHPから転載させていただいています。

無為の日々を過ごしていたら、大学から「新入生のために色々と説明するための集会を行います」というお知らせが届き、訳の分からないまま集まることになった次第です。曖昧なのですが、その日が5月6日で、場所は吉島公園だったと記憶しています。
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*画像は、子どもとお出かけ情報サイト「いこーよ」から転載させていただいています。Copyright© actindi Inc. All Rights Reserved.

当時、上の画像のような遊具は無かった気がしますが、まぁ、こうして「入学式」代わりの儀式が終わり、同じクラスのメンバーと顔を合わせることになり、中途半端で宙ぶらりんな大学生活がスタートしましたが、結局、8月17~18日にバリケード封鎖が解除されました。
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*画像は広島大学のHPから転載させていただいています。Copyright © 2003- 広島大学

そして、9月1日から教養部(新入生=1年生・2年生)と理学部が授業体制に入り、本格的な大学生活が始まりました。この時代のことを話し出せばさらに長くなりますので、ここまでにします。

広島大学は、その後、大部分が東広島市(旧・西条町鏡山)に移転し、東千田町にはわずかに記念施設他が残っているだけです。次の画像は移転後の東千田キャンパスの様子。最初の画像奥の建物(理学部だったかな)とメタセコイヤが残っていますね。
1024px-広島大学旧校舎01.jpg
*画像はWikipediから転載しています。

現在の状況下、新しい学校生活・大学生活がスタートしないために不安な日々を送っている方々が多くいらっしゃっると思います。事情・背景は異なりますが、昔にもチョッとだけ似たような、こんなこともあったという話でした(笑)。

1日も早く事態が収束する日が来て、宙ぶらりんな状態でいる皆さんが、勉学やサークル活動にいそしんで充実した学生活を送ることが訪れるのを心から祈っております。

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この記事へのコメント

narahimuro
2020年05月07日 20:53
行者橋さまへ
昭和44年の国公立大学は前代未聞の東大入試中止
の余波を受けて、受験生は混乱しましたね。
私も、学部を変えて京大を受験しました。
その後の人生を振り返って見て、京大以外で本来志望の
学部のある大学を受けるべきだったかもと思うことが
あります。(合否は別として)
ところで、広島大学には私の従兄が二人進学していますが
事情があり、今だ会ったことがありません。
世の中は複雑ですね。
行者橋 渡
2020年05月07日 21:23
narahimuro様、コメント有難うございます。私の場合は、希望する専攻が広島大学にしか無かったので、志望に関しては迷うことなく受験しました。

当時、東大入試が無くなることで、受験戦線は東大⇒京大⇒阪大の順に、大きな山の中で1つずつズレていくという見方と東日本の山・西日本の山と2つの山に分かれるという見方とがありました、行者橋の見るところ、結果としては2つの山説が正しかったのではないかと思っています。

従って、44年入学生で一橋大学・東京工業大学・東北大学に進学した方や京大に進学した方は、とても優秀!…という印象があります。

あの年も前代未聞と思いましたが、今年はさらに広い意味で前代未聞の事態が繰り広げられていると思います。
AK
2020年05月09日 15:56
先生、私の母親と同年輩なのですね。
私の母親は、貧乏な農家の子ゆえ中卒で撚糸工場に就職し、あまりの経営者一族の今でいう「モラハラ」に耐えかね、すぐに辞め、近所の織物工場に勤め6年目ぐらいの頃でしょうか。
あまり勉強が好きでもなかったので高校の定時制に行こうとは思わなかったが、実兄(私の伯父)は優秀だが、進学を諦めされられていたこと、吉永小百合の「キューポラのある街」の主人公の悔しさには自分や兄を投影し、強く共感していた、と何度か聞きました。
伯父の子供(私のいとこ)は大学院まで行きましたし、私も大学まで行きました。伯父に関してはまさに自分の恨みを子供に高い教育を受けさせることで晴らした感があります。親世代に比べると教育機会の経済格差、男女差は是正されたわけですが、一方でいじめ、不登校、校内暴力の問題がありました。(私の中学は荒れていました)
今年の学生さんたちは異常な状況にありますが、どういう影響が出るのか、と思っています。
行者橋 渡
2020年05月09日 18:43
AK様、コメント有難うございます。日本の高度経済成長期は1954(昭和29)年末から1970(昭和45)年)夏までとされますが、行者橋の印象では、小学生・中学生の頃は日本全体がまだまだ貧しい時代だったと思います。アメリカが本格的にベトナム戦争に軍事介入し始めた1961(昭和36)年頃から変化してきたようには思いますが、翌年に公開された映画『キューポラのある街』に国民の多くが共感したのは、やはり高度経済成長をまだまだ実感できなかったからでは無いでしょうか。

行者橋が中学生・高校生の時代は、勉強が快適な生活と結びついていました。伯父様もそうした気持をお持ちだったと思います。その後の社会の変化を振り返ると、良くなったことは多々ありますが、予測もしなかった弊害もあり、複雑な気持になりますね。携帯電話なんて漫画の世界の話だったのですが、今や小学生が使いこなす訳ですから。行者橋は、貧しい時代を知っていますので、いつも今のような社会がずっと続くのか不安に思うことが結構あります。
シルバ
2021年02月10日 15:51
先生、お久しぶりです。
先生の大学入学時にも、このようなことがあったのですね。
東大入試が中止になったのは知っていましたが、地方の大学にまでその影響があったことは知りませんでした。
私の娘は大学2年ですが、とうとう1年間、キャンパスには行けませんでした。
本人はそれ程辛そうでもありませんが。。。
楽しい大学生活を経験した者としては、娘を見ながらもやっとする毎日です。
初めて遭遇したこの未曽有の事態の中、自分の母に、これまで経験した中で、一番ひどかったことは?と聞いたところ、「戦争」という答えが返ってきました。このことは、しっかり記憶しておこうと思いました。
先生も、どうぞご自愛くださいね。
行者橋 渡
2021年02月10日 16:15
シルバ様、コメント有難うございます。
お元気でお過ごしの様子で何より。
こちらこそご無沙汰しておりますが、教育現場から離れて10年以上も経ちますので、リモート授業を始め大学・高校等、学校のことは全く見当がつきません。

ペスト禍とかスペイン風邪等のように、歴史上の出来事だと思っていた「疫病の流行」が、こうしてやすやすと起こってしまうことに驚いております。ただ、お母様の年代ですと、当然、そうなるでしょうね。

三寒四温の言葉通り、寒い日と暖かい日が交互にやってきておりますが、徐々に春が近づいてきているのを実感します。コロナ禍の先行きがはっきりしないので、花見ができるのか等と心配しておりますが(笑)。

シルバ様もお身体に気をつけて。また、京都でアチコチ行ける日を楽しみにしております。