土佐稲荷岬神社は先斗町の舞妓さん・芸妓さんがお参りされるのでしょうか(笑)。

祇園町北側(祇園東)の観亀(かんき)稲荷神社・祇園町南側(祇園甲部)の有楽(うらく)稲荷大明神をUPした後、「先斗町の舞妓さん・芸妓さんがお参りするようなお稲荷さんはあったっけ」と考えた時、思い出したのが土佐稲荷岬神社!
2020.06.09土佐稲荷岬神社 (24)王将河原町店西.JPG


土佐稲荷岬神社には河原町通・木屋町通の両方から行ける蛸薬師通備前島町にあるのですが、土佐藩邸跡のある高瀬川沿いの木屋町通からの方が分かりやすいかもしれません。次の画像左は土佐藩邸跡(旧・京都市立立誠小学校)、右の通りが蛸薬師通。
2020.06.09土佐藩邸跡 (42)旧立誠小学校.JPG
社伝では、室町初期の1348(貞和4)に備前国西大寺村の新右衛門が鴨川の中州の突端(岬)に建てた祠が起源だそうで、その後、鴨川西側等を転々とし、江戸初期の慶長年間に土佐藩に土地が下賜され、その京都屋敷内に社殿が建てられたとか。
2020.06.09土佐稲荷岬神社 (25).JPG
上の画像左(入り口脇)に特徴的な燈篭(献燈とあるのでそうでしょう)と駒札が。それには、先斗町・木屋町等周辺の町衆から産土神(うぶすながみ:地域の守り神)として崇拝され、人々がお参りできるよう藩邸内に通路が出来たとか。
2020.06.09土佐稲荷岬神社 (26).JPG
明治維新後、藩邸の売却と共に社殿が荒廃して下大阪町に移転したりした後、1887(明治20)年に備前島町の近江屋(初代・井口新助)が旧・土佐藩用人邸を買い取り、遷座したのが現在地。そして、1913(大正2)年に氏子の方々の手で現社殿が完成。
2020.06.09土佐稲荷岬神社 (29).JPG
なお、現在の氏子地域は三条通(北)・四条通(南)・先斗町(東)・新京極(西)。で、境内に入ると、お狐様と鳥居の間に坂本龍馬像が。現社殿建立から100年以上経っていますので、鳥居が傾(かし)ぐのもむべなるかな。
2020.06.09土佐稲荷岬神社 (30).JPG
坂本龍馬像の説明には「縁緒(ゆかり)の志士」とあります。境内には1863(文久3)年に脱藩の罪で坂本龍馬が土佐藩邸で7日間謹慎させられた時、常にもたれていた居室の柱の遺構があるとか(社殿内が良く見えず未確認)。
2020.06.09土佐稲荷岬神社 (33).JPG
なお、土佐藩京屋敷内への遷座時に土佐稲荷岬神社の祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・石栄神(せきえいのかみ)の2柱となったとか(大阪の土佐藩蔵屋敷にも稲荷神社が勧請されています)。で、1869(明治2)年、下京第六番組小学校として開校した旧・立誠小学校跡地ですが…。
2020.06.09旧土佐藩邸 (23)旧立誠小学校.JPG
学校としては199平成5)年に閉校しましたが、上の画像の建物は1927(昭和2)年に完成した京都市内に現存する最古の鉄筋コンクリート造の校舎なのでファサードを残し、グラウンド中心に再開発が進められています。
2020.06.09旧土佐藩邸 (21)旧立誠小学校.JPG
今年7月21日に、ホテル・商業施設等が入った「立誠ガーデンヒューリック京都」として開業予定です。最後に。上述した近江屋は土佐藩御用達の醤油商ですし、土佐藩邸とは背中合わせにいわば近い位置関係です。井口新助は「近江屋事件」の際の主人でしょうから、坂本竜馬・中岡慎太郎も参拝したであろう土佐稲荷岬神社には思い入れが深かったのだと思われます。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 6

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い 面白い 面白い 面白い

この記事へのコメント