圓光寺の紅葉:2020年京都紅葉情報⑧・2020.11.19。

37期紫Ri-tan(仮名)とそのご主人が恒例の京都旅行にお見えになり、紅葉巡りをご案内しましたので、そのご報告を。このところ、随分メディア露出が多くなったなぁと感じる圓光寺へ。
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今年は秋の紅葉特別拝観(11月15日~12月10)は予約が必要だったのですが、19日に10時からの予約を入れてGO!…次が正門の様子。
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受付を過ぎ境内に入ると、目の前に「奔龍庭 」と名付けられた枯山水庭園が広がります。新しいお庭ですが、チョッと重森三玲風(笑)。
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次は角度を変えて、奔龍庭越しに入口方向を眺めた画像。手前は龍の頭。右手奥の山腹には五山の送り火の1つ・舟形が見えます。
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上の画像左の展示室(瑞雲閣)で、伏見版木活字や円山応挙・筆「雨竹風竹図屏風」等の宝物を拝見した後、瑞雲閣の縁側から東側の紅葉を楽しみます。
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その後、洛北で最古といわれる栖龍池(せいりゅうち)野横を通り、徳川家康の墓・東照宮に続く通路をたどると、途中に綺麗なカエデ(楓)が。
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次は、家康の墓・東照宮近辺の紅葉。次の画像左の木のすぐ左隣りに家康があり、さらにその左が東照宮の屋根がチラッと写っています。
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ということで、家康の歯を納めていると伝えられているお墓を背景に、Ri-tanご夫妻の記念撮影。
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そして、通路を引き返し、「十牛の庭」をぐるっと回る形で鐘楼・本堂の前を通り、本堂入口へ。次の画像右が十牛の庭、奥が坐善導、左が本堂です。
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この圓光寺は、真正面に十牛の庭が見える本堂中央に座り、額縁風に低い位置から撮影するのが人気。高級カメラを持った方々が陣取りに余念がありません。
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がなかなか移動しないので(笑)、立ち位置から撮ったのが最初の画像と上の画像。緋毛氈に映る楓の葉蔭模様が美しい!…次は本堂の襖絵、富岡鉄斎の手になる「米點山水図:べいてんさんすいず」。
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米點は水墨の点描画ですが、米粒のような感じからついた名前かなと思ったら、中国・宋代の画家米芾(べいふつ)・米友仁父子に由来するとのこと。最後は、こちら。
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縁が広い盃型の手水鉢を用いた水琴窟(圓光寺型というそうです)。音を聞く竹筒がそばにあります。朝早く訪れたので人は少なかったのですが、帰る頃は続々とお客様が見えていました。

補足:圓光寺は、1601(慶長6)年に徳川家康により足利学校の第9代の庠主(しょうしゅ・学頭)の閑室元佶が招かれ、伏見城下に伏見学校圓光寺として建立されたのに始まります。

僧俗を問わず 入学を許し、また家康が与えた木活字を用いて、儒学・兵法関連の書物を刊行(伏見版・は円光寺版)した。本文でも記したように、その日本最古の木活字は現存(数は約5万個・重要文化財)。カタカナ活字もあるので、民間の需要にも応じた可能性があるとも。

その後、圓光寺は相国寺山内に移り、1667(寛文7)年に現在地に移転。明治以降、臨済宗南禅寺派の尼僧の修行道場となっていた時もあったそうです。

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