毘沙門堂の紅葉:2020年京都紅葉・補遺#2・2020.12.01。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、事始めや始業式といった花街の行事が中止となり、若干寂しい年末年始になりそうです。さて、記録のための「2020年京都紅葉・補遺」第2弾は、山科・毘沙門堂です。春の桜・秋の紅葉の名所として有名ですが、天台宗五箇室門跡(妙法院・三千院・青蓮院・曼殊院・毘沙門堂)の1つです。まずは、こちらの画像から。
寺伝に依れば、毘沙門堂の創建は703(大宝3)年に文武天皇の勅願で行基が開いた出雲寺とされています。その後、紆余曲折があり、江戸時代初期に後西(ごさい)天皇(*注参照)の皇子・公弁法親王が入寺して以来、門跡寺院となっています。上の画像左はカエデ(楓)ですが、右下はドウダンツツジ(灯台躑躅・満天星)です。次は同じ場所を違う角度から撮った画像。瓦屋根の上の紅葉が綺麗です。毘沙門堂の正式名は護法山安国院出雲寺、本尊は毘沙門天です。後西天皇の死後、御所から勅使門・霊殿・宸殿が毘沙門堂に移築されています。 その内部を1枚だけ。建物内をグルっと1周すると、池のあるお庭・晩翠園が。もう1枚、晩翠園の光景を。毘沙門堂の拝観は靴袋を持って廻り、最後に屋根瓦の薬医門から外に出ます。薬医門の上からの画像がこちら。なのですが、「毘沙門堂の紅葉」というと必ず登場するのが、先ほどの薬医門の東にある檜皮葺きの勅使門(総門)からの光景です。次は下から仰いだ勅使門。勅使門のすぐ下は石段なのですが、その先が紅葉の絨毯となることで有名な坂道です。下の部分を少し大写しすると、こうなります。逆に下側から撮影したのがこちら。訪れたのが12月1日で紅葉のピークを過ぎていましたので若干寂しい光景になっていますが、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」のかつてのキャンペーンでは次のポスターが。*画像はJR東海のHPから転載させていただいています。© Central Japan Railway Company. All rights reserved.
こちらの画像の方が、まだ雰囲気がありますかね(笑)。ということで、最後は入口に当たる極楽橋そばの紅葉。画像奥が山科駅方向(南)です。毘沙門堂を訪れる際は、「行きはTAXI、帰りは徒歩」が正解だなぁ!と実感した行者橋でした(笑)。あの緩い一直線に延びる坂道の参道は長い!長すぎる!
*注後西天皇のように、後○○天皇という諡(おくりな)を持つ天皇は以下の28名(数字は代数)。
後一条(68)・後朱雀(69)・後冷泉(70)・後三条(71)・後白河(77)・後鳥羽(82)・後堀河(86)・後嵯峨(88)・後深草(89)・後宇多(91)・後伏見(93)・後二条(94)・後醍醐(96)・後村上(97)・後亀山(99)・後光厳(北朝4)・後円融(北朝5)・後小松(100)・後花園(102)・後土御門(103)・後柏原(104・後奈良(105)・後陽成(107)・後水尾(みずのお・108)・後光明(110)・後西(111)・後桜町(117)・後桃園(118)。
この内、元となる天皇との名称が異なるのが、次の6名。なお、後桜町のみ女性です。
後深草←54・仁明の別称:深草帝から、
後小松←58・光孝の異称:小松帝から、
後柏原←50・桓武の別称:柏原帝から、
後奈良←51・平城(へいぜい)の別称:奈良帝から、
後水尾←56・清和の異称:水尾帝から、
後西←53・淳和の異称:西院帝から。
寺伝に依れば、毘沙門堂の創建は703(大宝3)年に文武天皇の勅願で行基が開いた出雲寺とされています。その後、紆余曲折があり、江戸時代初期に後西(ごさい)天皇(*注参照)の皇子・公弁法親王が入寺して以来、門跡寺院となっています。上の画像左はカエデ(楓)ですが、右下はドウダンツツジ(灯台躑躅・満天星)です。次は同じ場所を違う角度から撮った画像。瓦屋根の上の紅葉が綺麗です。毘沙門堂の正式名は護法山安国院出雲寺、本尊は毘沙門天です。後西天皇の死後、御所から勅使門・霊殿・宸殿が毘沙門堂に移築されています。 その内部を1枚だけ。建物内をグルっと1周すると、池のあるお庭・晩翠園が。もう1枚、晩翠園の光景を。毘沙門堂の拝観は靴袋を持って廻り、最後に屋根瓦の薬医門から外に出ます。薬医門の上からの画像がこちら。なのですが、「毘沙門堂の紅葉」というと必ず登場するのが、先ほどの薬医門の東にある檜皮葺きの勅使門(総門)からの光景です。次は下から仰いだ勅使門。勅使門のすぐ下は石段なのですが、その先が紅葉の絨毯となることで有名な坂道です。下の部分を少し大写しすると、こうなります。逆に下側から撮影したのがこちら。訪れたのが12月1日で紅葉のピークを過ぎていましたので若干寂しい光景になっていますが、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」のかつてのキャンペーンでは次のポスターが。*画像はJR東海のHPから転載させていただいています。© Central Japan Railway Company. All rights reserved.
こちらの画像の方が、まだ雰囲気がありますかね(笑)。ということで、最後は入口に当たる極楽橋そばの紅葉。画像奥が山科駅方向(南)です。毘沙門堂を訪れる際は、「行きはTAXI、帰りは徒歩」が正解だなぁ!と実感した行者橋でした(笑)。あの緩い一直線に延びる坂道の参道は長い!長すぎる!
*注後西天皇のように、後○○天皇という諡(おくりな)を持つ天皇は以下の28名(数字は代数)。
後一条(68)・後朱雀(69)・後冷泉(70)・後三条(71)・後白河(77)・後鳥羽(82)・後堀河(86)・後嵯峨(88)・後深草(89)・後宇多(91)・後伏見(93)・後二条(94)・後醍醐(96)・後村上(97)・後亀山(99)・後光厳(北朝4)・後円融(北朝5)・後小松(100)・後花園(102)・後土御門(103)・後柏原(104・後奈良(105)・後陽成(107)・後水尾(みずのお・108)・後光明(110)・後西(111)・後桜町(117)・後桃園(118)。
この内、元となる天皇との名称が異なるのが、次の6名。なお、後桜町のみ女性です。
後深草←54・仁明の別称:深草帝から、
後小松←58・光孝の異称:小松帝から、
後柏原←50・桓武の別称:柏原帝から、
後奈良←51・平城(へいぜい)の別称:奈良帝から、
後水尾←56・清和の異称:水尾帝から、
後西←53・淳和の異称:西院帝から。
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