近江八幡:八幡山ロープウェイと八幡山城址は市街地のどこからも見えて便利です(笑)。

「たねや 日牟禮茶屋」報告に続く 、4月初めの近江八幡紀行第2弾は、八幡山ロープウェイと八幡山城跡の様子を。と言っても、ロープウェイには乗らず、八幡山城址にも行かず、なのですが(笑)。まずは、こちらの画像から。
2021.04.08近江八幡 (233)八幡堀・八幡山ロープウェイ.JPG


八幡山ロープウェイは、鶴翼山(通称:八幡山・標高283m、比高100m)の山麓と山頂を結ぶ近江鉄道の索道(ロープウェイ)線です。 日牟禮(ひむれ)八幡宮に続く参道を歩いて行くと、正面に見えます。
2021.04.08近江八幡 (10)八幡山ロープウェイ.JPG
次の画像は、山麓の公園前駅の入口。市内のアチコチで見かけた滋賀県発祥の「飛び出し坊や」がチャンとお出迎え。
2021.04.08近江八幡 (59)八幡宮ロープウェイ.JPG
ちなみに「飛び出し坊や」が最初に設置されたのは近江八幡市の東の八日市市(現・東近江市)だとされています。公園前駅をのぞくと車両が待機中。
2021.04.08近江八幡 (61)八幡ロープウェイ.JPG
さくら号・もみじ号の2基(定員各25人)あるそうですが、上の画像はもみじ号ですね。八幡城址駅(山頂駅)までは全長543m・高低差157m。
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上の画像で、3線交走式という走行方式であることが分かりますね(笑)。と同時に上の画像左端に八幡山城址の石垣が見えますが、その大写しがこちら。
2021.04.08近江八幡 (241)八幡堀.JPG
1585(天正13)年に豊臣秀吉は、甥の秀次 に近江八幡を領地として与え、秀吉自らが八幡山城を築きます。八幡山城を居城とした秀次 は1590(天正18)年に尾張国清洲城へ移り、京極高次が入城。1595(文禄4)年秀次が切腹させられると、八幡山城は廃城になりました。
2021.04.08近江八幡 (68)八幡ロープウェイ.JPG
上の画像は、八幡山城址駅。右上の建物は不明、村雲御所瑞龍寺は少し奥のはずですから、お願い地蔵堂でしょうか。八幡山は近江八幡の市街地からだとどこからでも見え、とても分かりやすい目印です。
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上の画像は市営小幡観光駐車場から見た八幡山。手前の建物は旧・伴家住宅 ですが、城址とロープウェイの山頂駅も明瞭に見えますね。次は近辺の案内図。ということで、次は八幡堀の新町浜からの光景。日牟禮神社近辺の八幡堀からだとかなり西になります。
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続いては、さらに西に行った場所からの画像。中央右上にロープウェイの車両が見えます。
2021.04.08近江八幡 (234)八幡堀.JPG
で、その八幡山ロープウェイの大写しがこちら。最初の画像とほぼ同じ位置からの撮影です。
2021.04.08近江八幡 (232)八幡堀・八幡山ロープウェイ.JPG
ちなみに、 八幡山城本丸跡にある日蓮宗唯一の門跡寺院で、豊臣秀次の菩提寺でもある村雲御所瑞龍寺が京都市内から移築されたのが、1961(昭和36)年で、翌年11月23日に八幡山ロープウェイの営業が始まったそうです。

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