去年の…神幸祭:豊園泉正寺榊・御神宝奉持列・久世駒形稚児@東大路通:2019.07.17。

去年の祇園祭前祭山鉾巡行のご報告の後は、神幸祭です。神輿出御から八坂神社西楼門石段下までの様子を3回に分けて。まずは、中御座(素戔嗚尊:すさのおのみこと)を先導する久世駒形稚児の画像から。
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7月17日の夕刻、東大路通の石段下から少し南に寄った「餃子の王将 祇園八坂店」を正面に見るあたりで待機していると。17時30分頃、最初に八坂神社南楼門(正門)から石鳥居目の神幸道を通って、先触れ太鼓と騎馬武者が登場。
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こちらが騎馬武者。
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続いて登場してくるのは、以前にチョッとだけ触れたことがある(こちらをご参照下さい)のですが、豊園泉正寺榊(ほうえんせんしょうじさかき)の列
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元々、高倉通高辻の泉正寺町は東御座を先導する真榊台「泉正寺榊」担当でしたが、町内での維持が困難になり、1989(平成元)年、豊園学区の住民の賛同を得て榊奉賛会を設立して「豊園榊(豊園御真榊)」となり、現在は豊園泉正寺榊に。
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7月16日に神の依り代として洛央小学校(旧・豊園小学校)で榊台に組み立てられ、八坂神社の神職がお祓いをするそうです。古くは各御座にあったのが、他の2基は途絶えて本来、東御座に供奉していた豊園泉正寺榊が、現在では中御座に供奉している訳です。
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上の画像は唐櫃。豊園泉正寺榊に続いて巡行してきたのですが、詳細不明。そして、御神宝奉持列が続きます。
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上の画像右に斜めに見えるのが、この列で最も重要な勅板(ちょくばん)で、974(天延2)年に円融天皇の高辻東洞院の地に大政所御旅所を賜って、そこに毎年神幸することという勅令が記されているとか。御旅所への神輿渡御祭である神幸祭の始まりですね。
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神宝は勅板・矛・楯・弓・矢・剣・琴・武具・楽器等ですが、これらを奉持する列は宮本組の皆さんが担当されます。宮本組は、八坂神社の氏子区域全域25学区からなる「清々講社」第1号に指定された氏子組織です。
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豊臣秀吉期に確立したと思われる(祇園祭を経済的に支えていた)「寄町:よりちょう」が、1872(明治5)年に廃止された時、質入・譲渡される鉾も出現する事態に陥ったので、組織されたのが募金組織・清々講社です。
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で、宮本組は、八坂神社お膝元の弥榮学区(平安時代から神社周辺に住み、奉仕してきた人々の地域)の住民・店主・地主等で構成されている「お宮の本にある組」です。他学区の講社に比べて歴史が古く、清々講社の中でも重要な役割を担う特別扱いされている講社です。で、次は久世駒形稚児。
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既にご紹介したように、神幸祭(仲子陸哉君)と還幸祭(戸倉悠翔君)ではお稚児さんが違うのですが、白馬に乗り、綾戸國中神社にある素戔嗚尊の荒魂(あらみたま)のご神体を胸に付けて巡行します。
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こちらがご神体(木彫りの馬の頭=駒形)。
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お稚児さんは、社参時の立ち居振る舞いや神幸祭・還幸祭に備えて馬に乗る練習もしたそうですが、緊張の面持ちで通過していきます。
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騎馬の神職が続いて、役員の方々が西楼門石段下に進んで行くと、いよいよ神輿の出御です。祇園祭は、ご神体と(神様の)御装束や神宝と供に巡幸していた平安時代以前の様式を受け継いでいるそうですが、古式の祭礼様式を今に継承しているかけがえの無い行事だと思います。

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